ウェントは国家システムがアナーキーな状況の中にあるといったリアリストによる仮定を共有していたが、核となる権威の不在によって生存のために国家がホッブズの闘争の中に留まったままであることを否定していた。そして暴力的な競争は国家システムが作り出すものの1つに過ぎず、それはネオリアリズムが有する物質主義を相対化することによる結論であった。
なぜ一極集中の国際システムは勢力均衡の意味での対立極を生み出さないのかについて決定的な説明を与えることができなかったため、冷戦の終結以後、国際関係論における優勢なパラダイムであったネオリアリズム(もしくはケネス・ウォルツの著作を引用するリアリストたちや構造主義者たち)はコンストラクティビストによるパラダイムの出現によって影響を受けるようになっていた。
アナーキーは安全を確保するために競争することを国家に強いると主張するネオリアリズムの原理に対してウェントは疑問を投げかけており、システムが闘争的か平和的かといった事実はアナーキーやパワーに依存せず、共有される文化に依存しているとされており、アナーキーは永続的な論理ではなく、歴史上異なった文化的形態を示していた。
ラショナリストたちの理論(ネオリベラリズムやネオリアリズム)と反対に、コンストラクティビズムはアクターたちが自身を定義する方法(彼らが誰であり、利益は何であり、目標を達成するためにどうするか)を形成する理想的な構造にフォーカスしていた。
コンストラクティビストにとって、アクターの現実が常に歴史的に構成されていることを認識することは不可欠であり、その現実は人間の活動の産物であり、少なくとも理論上は、新しい社会的実践を始めることによって超越することが可能であり、この変化のプロセスはゆったりとしたものであり、時としてアクターは数千年におよぶ社会的共有化に直面することもあった。そして国際システムがアナーキーであるといった不変の構造によって国際政治の普遍的なパターンが存在しているといったネオリアリストの主張は、コンストラクティビストたちによって激しく批判されていた。
ウェントの仕事における主な目標はケネス・ウォルツのネオリアリズムであり、彼の究極の目標はウォルツがリアリズムに対して行ったことをコンストラクティビズムに対して行うことであり、言い換えれば、今度は規範や観念の視点から構造の影響力を解明するシステマティックな理論を構築することだった(これはウェントとウォルツの業績のタイトルの類似性から示されている)。
ウェントによれば、ネオリアリズムは、さまざまなタイプの国家の存在、資産を維持することを望む(現状維持の)国家や影響力によってシステムを変更することを望む(リビジョニストたちの)国家を暗黙に引き合いに出すことなしに、国際舞台で生じる変化を説明することができないとされていた。
リビジョニストたちの国家が隣国の存在を脅かすことによって紛争を伴うアプローチを採用するとき(ホッブズのアナーキー)、現状維持の国家は比較的平和的に振る舞う(ロックのアナーキーやカントのアナーキー)ことをウェントは示唆していた。この議論は、権威の不在によって定義されたアナーキーが自身の論理を有していないことを暗示していた。したがってアナーキーはパワーと無関係にさまざまな利益を生み出しており、パワーが大きいすべての国家が隣国を破壊することを望んでいる訳ではなかった。またもし国家が共通の基本的なもの(自治、生存、尊重)を必要としているならば、国家がこれらを必要としていることを示す方法は社会的な相互作用に依存していた。
ウェントによると、17世紀までの世界における出来事を支配していたホッブズの文化において、各々の国々はその同盟国を敵として眺めていた。他国は暴力の使用に制限を課さない一定の脅威として考えられていた。
1648年のウェストファリア条約以降の近代国家を特徴付けたロックの文化において、国家は他国をライバルとして眺めていた。各国は彼らの利益のために暴力を用いることが可能であったが、他国との協調に脅威を与えるまでには至らなかった。
民主主義間の関係の中でゆっくりと生じていたカントの文化において、国家はお互いをパートナーとして眺めていた。各国はお互いに対して影響力を用いる意思がなく、むしろ安全保障上の脅威に対処するために協調する意思を有していた。
これらすべての文化において、振る舞いの規範は3つのレベルで内面化されており、第一のレベルでは、ネオリアリストの世界観に類似するが、規範への従属は単に強制による結果であり、他のアクターたちの相対的優位性に基づく制裁を理由にして、アクターは規範を受容していた。
第二のレベルでは、リベラルな世界観に類似するが、規範を正当なものとみなすからでなく、単に利益を見出すことを理由にして、アクターたちは規範に順応していった。
第三のレベルでは、各々の国家は規範を正当であり、国家自身の一部として受け入れていった。各国家は他国の期待を確かめ、その期待を各国家の認知の領域に含めていた。このレベルでのみ、国家の利益やアクターたちのアイデンティティーに影響を与えることによって、規範は真の意味で各々の国家を「構築」していた。しかし第一と第二のレベルでは、意見の一致は単なる手段にすぎず、パワーのバランスが変化し、コストが利益以上に相対的に上昇すると、規範は忘れ去られることになった。
ウェントによれば、ホッブズ、ロック、カントの文化はそれぞれ協調の程度を示しており、各々に3つの内面化の程度が存在していた。
それは、ホッブズの闘争システムを第三のレベル(ある社会構築)で共有され内面化された観念の産物として、そして単なる(リアリストの観点による)物質的影響力の産物ではないものとして、眺めることを許容しており、もし従属が制裁の脅威(第一のレベル)や協調を通じた単なる利益(第二のレベル)から生じているなら、高いレベルの協調(カントの文化)は狭い自己の利益の産物にすぎないかもしれなかった。したがってすべての協調がリベラリズムやコンストラクティビズムを支持しないように、すべての闘争がリアリズムを支持している訳でもなかった。すべては内面化のレベル、アクターが協調的になったり闘争的になったりする理由、彼らが敵、ライバル、友として扱われる理由に依存していた。
ウェントの主要な論点は、ある時代における国家に見出される文化は自己や他者の間で共有される視野を再生産し変更する言説的社会的実践に依存しているということであった。アナーキーは国家が作り出すものであった。アクターたちがお互いに対して独善的にそして攻撃的に振る舞い続けるときでしか、ホッブズのシステムは維持されることが不可能であった。そのような文化は、ネオリアリストたちによって主張されるようにアナーキーやパワーの物理的分布による必然的な結果ではなかった。実際、現実の政治は予言の中身を自分で達成する予言そのものであった。
もしアクターたちが他者を平等に扱いながらさまざまに振る舞うならば、ホッブズの文化は徐々にロックやカントの文化に進化したかもしれなかった。ウェントが私たちに述べた、文化はすでに与えられた事実ではなく、むしろ歴史的社会的プロセスの産物であるということを忘れないことが重要であった。今日の国際関係論における常識は、国家の本能的な特徴の反映ではなく、時代を超えて進化した観念の産物自身であった。新しい振る舞いを採用することによって、国家は集合的な行動や歴史的不信といった問題を超越する新しい観念的構造を生み出すことが可能であった。
自我を社会プロセスの産物として眺めるコンストラクティビストの見方は、自己の利益はアクターの振る舞いにおける本質的で永続する特徴ではないことを私たちに理解させていた。ウェントによれば「もし利益が実践によって永続されないならば、それは消えてしまうだろう」といったことが述べられていた。
政治学におけるコンストラクティビズムは、社会的アイデンティティーを伝え、振る舞いを開放したり制限したりすることによって、社会構造やアクターたちがお互いを構築することを示しており、そのときに物質的世界は完全に無視されている訳ではなく、仲介する社会構築を通じて理解されるのみであると考えられていた。
トーマス・リッセやアンヤ・イェットシュケによれば、コンストラクティビズムがリアリズムと対照的に、人権組織がその活動やキャンペーンを通じて、国際政治のアクターたち、例えば国家に影響を及ぼし、社会的行動がその行動を再生産するないし変更をもたらす社会構造を生じさせることを説明することは可能であった。
他方プラグマティックなアプローチと関連しているウィトゲンシュタイン、オースティン、サールによって展開された政治学におけるコンストラクティビズムはニコラス・オナフによって1989年に概説されており、そこで言語は社会的活動の1つの形式として認識されており、その形式を通じて社会構造(社会秩序、統治構造)が(再び)生み出されていた。彼らの狙いはどのようにコミュニケーションを通じて利点や活動の可能性を分配させるのかといった問題意識にあった。
エマヌエル・アドラーによれば、政治学におけるコンストラクティビズムは、物質世界が人間そして人間間の行動を創造し、そしてその行動から物質世界が創造された方法は、これらの物質世界に対するダイナミックな規範的そして認識論的解釈に依存しているとの信念であると定義されていた。
ウェントによれば、国家の行動は構造によってのみならず、プロセス(相互作用や学習を含む)によっても影響され、学習し相互作用するプロセスの中で、国家は彼らの振る舞いだけでなく彼らのアイデンティティーや利益も変えることが可能であった。そしてまさに独善的に振舞っているときでも、国家はお互いと協調することが可能であった。
ニコラス・オナフはアクターたちの利益やアイデンティティーを説明しようとするこの社会理論をコンストラクティビズムと名付けた。そして国際関係論の中に初めて登場したこの社会理論は、1980年代の後半つまり冷戦の終わりにおける国際システムの劇的な変化に直面することになった。
1992年にウェントはインターナショナル・オーガニゼーションの中で、本論文における私の目的は2つの伝統(ネオリアリズム対ネオリベラリズム)の間に橋をかけることであり(...)、コンストラクティビストの議論を発展させ、構造主義者やシンボリックな相互影響論者から離れ、国際機関は国家のアイデンティティーや利益を変えることが可能であるといったリベラルな主張を行いたいがためであり、システムに対する主流派の国際分野に関する学問を経済的に理論化することと対照的に、これはシステムの理論に対する社会学的なそして社会心理学的な形式を含み、そこではアイデンティティーや利益は従属変数であると述べていた。
そしてこの『アナーキーは国家が作り出すもの:パワー・ポリティクスにおける社会構築』の中でネオリアリストたちやネオリベラル・インスティチューショナリストたちによって共有されている欠点、つまり物質主義に対する傾倒に疑念を投げかけており、パワー・ポリティクスのようなリアリストにとっての核となる概念でさえ社会的に構築され、つまり固有の性質によって生じるのではなく、人間の実践によって変更される可能性があることを示すことによって、ウェントは、国際関係論におけるある世代がコンストラクティビストの展望から幅広い問題の中にその活動を求める方法を切り開いていた。
コンストラクティビズムは、ネオリアリズムやネオリベラリズムにおける仮定と対照的に、国際関係論における核心的な概念は社会的に構築されることを示しており、ウェントはコンストラクティビズムにおける基本的な2つの考え方について、(1)人間関係の構造は物質的な影響力よりもむしろ共有された考え方によって本質的に決定されており、(2)合目的的なアクターたちのアイデンティティーや利益は固有の性質によって与えられるよりむしろこれらの共有された考え方によって構築されると主張していた。
ウェントによれば、ネオリアリズムの構造が説明することは多くなく、2つの国家が友好的であるか敵対的であるか、お互いの主権を認めるのか支配と従属の関係になるのか、リビジョニスティックになるのか現状維持的になるのか等について予想がつかず、そのような振る舞いの特徴はアナーキーによって説明されず、アクターたちによって支持される利益やアイデンティティーについての事例を取り込むことを必要としていた。
マーサ・フィネモアによれば、パワーでなく社会的価値における国際的構造を検証することによって国家の利益や国家の振る舞いを理解するためのシステマティックなアプローチを展開することが必要とされており、利益は単にその外に存在している訳ではなく、発見されることを待っており、社会的相互作用を通じて構築されると説明されており、ユネスコの影響を受けた科学官僚制、ジュネーブ条約における赤十字の役割、貧困に対する態度に与えた世界銀行の影響が挙げられていた。
トーマス・J・ビアステーカーやシンシア・ウェーバーは、国家の主権の進化を国際関係論における中心的なテーマとして理解するために、コンストラクティビストのアプローチを採用し、ロドニー・ブルース・ホールやダニエル・フィルポット等は国際政治の力学における主要な変化に対するコンストラクティビストの理論を展開し、国際政治経済学では、キャサリン・R・マクナマラによる欧州通貨同盟の研究やマーク・ブライスによるアメリカにおいてレーガノミックスが生じたことに対する分析が挙げられていた。
コンストラクティビズムはしばしば国際関係論における二大理論、リアリズムやリベラリズムに代わるものとして示されてきたが、一部の人々はコンストラクティビズムが必然的に両者と矛盾するものではないと主張しており、例えばアナーキーの存在や国際システムにおける国家の中心性のようなリアリストとネオリアリストの研究者が主張するいくつかの重要な仮定をウェントは共有していたが、ウェントは物質主義者の意味でよりむしろ文化の中にアナーキーを据えており、同様に国際関係論におけるアクターとしての国家といった仮定を擁護していた。
前回同様これが全てであるとは言及しないが、フランス、ドイツ、アメリカのWikipediaの「コンストラクティビズム」、「アレクサンダー・ウェント」の項目を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Constructivisme_(relations_internationales)
コンストラクティビズム(国際関係論)
国際関係論におけるコンストラクティビズムは、例えばアレクサンダー・ウェント、ニコラス・オナフ、ピーター・J・カッツェンスタイン、マイケル・バーネット、キャスリン・シッキンク、ジョン・ラギー、マーサ・フィネモアのような研究者たちによって、1960年代に生まれた社会学の学派である社会構成主義を適用されたことに始まり、国際関係論の分野においては、3番目に大きい学派であった。
コンストラクティビズムの主な特徴
3つの要素がコンストラクティビズムを国際関係論上の理論として完成させていった。
第1に、国際政治は異なったアクターが有する共有された観念、規範、価値観によって導かれるものとして定義されていた。環境に対する影響や私たちの振る舞いの相互作用に対して人間の存在が与える社会的側面を強調したいがために、コンストラクティビズムは知識の相互主観性に対して表面上フォーカスしていた。ネオリアリズムの原動力とは無関係に、システムの構造は時代を超越し、エージェントに対して課せられていた(システムによって振る舞いを強要されるリアリストたちの理論に対して、ユニットやエージェントの自由意志を示すために、コンストラクティビズムにおけるアクターのことが触れられていた)。
第2に、理想的な構造(相互主観的な空間)が構成されており、アクターに対して構成されているだけではなかった。言い換えれば、構造はアクターがアクターの利益を再定義するように促しており、相互作用の幅広いプロセスの中でアクターの存在理由を定めていた。「合理主義者たち」(ネオリベラリズムやネオリアリズム)が、国際関係の背後にある原動力を定義するために、国家の利益を不変のものとして構成していることと反対に、コンストラクティビズムは、どのようにアクターが自身を定義するか(彼らは誰であり、彼らの利益は何であり、どのように彼らの目標を達成するのか)を形成する理想的な構造にフォーカスしていた。
第3に、理想的な構造とアクターがお互いを形成し、絶えず定義し続けていた。もし構造がアクターの振る舞いや利益を定義しているならば、アクターはアクターの行動によって構造を変更しているだろう。アクターが構造の外で独自に振る舞うことは困難であったが不可能ではなかった。このような振る舞いは対話を変化させ続け、したがって構造を変えることに寄与していた。例えば個人や国家が同様に構造に立ち向かい、対立が永く続く機能不全の状況から脱出することも可能であった。
したがってコンストラクティビストたちにとって、アクターが直面する現実は常に歴史的に形成されていることを認識することが不可欠であった。その現実は人間の活動の産物であり、少なくとも理論上は、新しい社会的実践を始めることによって超越することが可能であった。この変化のプロセスはゆったりとしたものであり、時としてアクターは数千年におよぶ社会的共有化に直面することもあった。しかし最もしっかりと根付いた構造でさえ単なる意思のパワーによって疑問視される可能性が存在していた。世界システムがアナーキーであるといった不変の構造によって国際政治の普遍的なパターンが存在しているといったネオリアリストの主張は、コンストラクティビストたちによって激しく批判されていた。
ウェントとコンストラクティビズム
ウェントの理論はコンストラクティビストの体系を共有しており、大部分そこから派生されたものであった。ウェントにとってコンストラクティビズムの体系はネオリアリズムの批判において非常に激しいものであったが非常に限定されたものでもあった。その観念が国際システムにおける唯一の重要な要素であるとコンストラクティビズムが主張するときに、議論は非常に激しいものになっていた。その代わりにウェントは、物質的なパワーは存在しているが、アクターの振る舞いにいくらかの影響を与えているにすぎないと主張していた。さらに国家は相互作用から独立して存在する完全なアクターであると主張していた。したがって国家は例えば貨幣同様に社会的構築物ではなかった。また国家は理想的な構造に従わない非常にわずかな利益を有していた(例えば「生存本能」)。
明らかに「物質的な」変数が相互主観的なプロセスによってどの程度実際に形成されているのかを確認することなしに、パワーや利益のような現実の変数に対する要因として理論を検証する際、コンストラクティビストの体系は非常に限られたものであった。
ウェントの仕事における主な目標は疑いなくケネス・ウォルツにおけるネオリアリズムのような仕事であり、彼の「究極の目標」はウォルツがリアリズムに対して行ったことをコンストラクティビズムに対して行うことであり、言い換えれば一貫し体系だった理論を構築し、その理論が今度は規範や観念の視点から構造の影響力を形成することであった(これゆえウェントとウォルツの業績におけるタイトルの類似性が説明される)。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Alexander_Wendt
アレクサンダー・ウェント
アレクサンダー・ウェントは1958年6月12日にマインツで生まれ、国際関係論において社会構成主義を応用した著名な人物の1人であった。ウェントやニコラス・オナフ、ピーター・J・カッツェンスタイン、マイケル・バーネット、キャスリン・シッキンク、ジョン・ラギー、マーサ・フィネモアのような他の研究者たちは比較的短い期間だが1960年代に生まれた社会学の学派で国際関係論における第3の学派としてコンストラクティビズムを構築していた。
1 略歴
アレクサンダー・ウェントは西ドイツのマインツで生まれた。彼はマカレスター・カレッジで政治学や哲学の研究をし、その後レイモンド・デュバルの指導の下、1989年にミネソタ大学で政治学の博士を取得した。ウェントはその後1989年から1997年までイェール大学、1997年から1999年までダートマス大学、1999年から2004年までシカゴ大学、そしてオハイオ州立大学で教えていた。彼は大学の政治学部のメンバーであるジェニファー・ミットゼンと結婚していた。
現在彼は2つのプロジェクトに関わっていた。それは必然的な世界国家の樹立に対する技術的な説明と量子力学の社会科学への適用であった。
2 国際政治の社会理論
ウェントによる最も影響力のある著作は疑いなく『国際政治の社会理論』(ケンブリッジ大学出版局、1999年)になり、それは1992年の彼の論文である「アナーキーは国家が作り出すもの―パワー・ポリティクスにおける社会構築」を深化させており、リアリストであるケネス・ウォルツの著作である『国際政治の理論』に対するものであった。
ウェントは国家システムはアナーキーな状況の中にあるといったリアリストによる仮定を共有していた。しかしながら、国家が生存のためにホッブズの闘争の中に永続的に留まったままであることを強いられていることを中心的な権威の不在が示しているといったことを彼は否定していた。ウェントにとって、暴力的な競争は国家システムが作り出す多くの中の1つにしか過ぎなかった。彼はネオリアリズムが有する物質主義を相対化することによってこの結論に達し、観念、規範、文化のような他の要因を強調していた。事実、国家の利益、アイデンティティー、パワーの概念自体は観念によって構成されていた。例えば、領土を巡る戦争が特に存在していないといった事実は、ドイツのナチによって異議を申し立てられた観念や合意であった。
『国際政治の社会理論』の中で、利益やアイデンティティーを構成する観念は「相互主観性」によって形成されていた。それは国家のお互いに対する一定の相互作用の結果であった。また国際政治を決定する構造をはるかに超えたプロセスが存在していた。リアリストによる世界の説明は時として公正であったが、それは絶対的で永続的なものではなく、社会構成のプロセスにおける一部分でしかなかった。
観念、規範、文化を国際政治の解釈の中心に据えることによって、ウェントの理論は国家システムを変更する可能性を切り開いており、国家システムをより公正で平和的な存在にし、ネオリアリストによる物質主義的な構造主義を否定していた。
2.1 国際政治の社会理論の背景
冷戦の終結以来、リアリズムはいくつもの階層に散在し、国際関係論における優勢なパラダイムはコンストラクティビストによるパラダイムの出現から影響を受けるようになっていた。ケネス・ウォルツの著作を引用するネオリアリストたち(もしくはリアリストたちや構造主義者たち)は特にターゲットにされていた。
リアリズムの学派は、アナーキーや国家間におけるパワーの分布は国際政治におけるエンジンであると主張していた。基本的な要因、特にアクターのアイデンティティーや利益を構成する振る舞いを形成する相互主観性によって共有される観念をリアリズムは欠いているとコンストラクティビストたちは応じていた。
相互主観性は客観性とは異なり、観念や無形の要素から構成されていた。また相互主観性は主観性とも異なり、理由としてある出来事における1つのアクターの認識が規範を創造することを許されていなかったことが挙げられていた。相互主観性はむしろお互いの間に橋を構築するいくつものアクターたちの主観性であった。
アナーキーは安全を確保するためにお互いと競争することを国家に強いると主張するネオリアリズムの中心的な原理に対してウェントは疑問を投げかけていた[1]。その研究によれば、システムが闘争的か平和的かといった事実はアナーキーやパワーに依存せず、共有される文化に依存しているとされていた。アナーキーは永続的な論理ではなく、歴史上異なった文化的形態を示していた。著者はホッブズ、ロック、カントの時代を区別していた(影響力のある哲学者たちに因んで)。これらの異なった状態はシステムの中で共有される異なった「ルール」に対する振る舞いに従うアクターたちの意思に依存していた。国家が自身で成す構想は部分的には同盟国の外交的な動きによって形成されているので、同盟国は彼らのアクションによってその構造を変化させることが可能であった。
もしアナーキーが国家が作り出すものであるならば、リアリズムは耐え難いショックを受けることになる。そして相対的パワーを求め、悲劇的な紛争を一定間隔で引き起こす国際情勢におけるアナーキーな状況によって、国家はこれまで非難されて来なかった。永続的な平和を確認することを可能にするように、より自己中心的でない姿勢を保つ習慣を通じて、システムを構成する相互主観的な文化を変えていくために、国家が振る舞うことは可能であった。
2.2 コンストラクティビストのパラダイムとウェント
3つの要素がコンストラクティビズムを国際関係論における完全な理論体系に成し得ていた。
第1に、国際政治は異なったアクターたちが成す共有された観念、規範、価値観によって導かれるものとして定義されていた。コンストラクティビストたちが、私たちの振る舞いの構成における環境や相互作用の影響について人間の存在における社会的側面を強調することを望んでいるので、コンストラクティビズムは特に知識の相互主観性にフォーカスしていた。ネオリアリズムにおける因果関係とは関係なく、システムの構造は永続的であり、エージェントたちに対して課せられているものだった(つまりリアリストの理論の中におけるユニットやエージェントもしくはシステムによって振る舞いを強制されているユニットの自由意志を示すために、コンストラクティビズムの中にあるアクターたちに言及していた)。
第2に、理想的な構造(相互主観的な空間)はアクターたちに対して構成的であるのみならず、構成的な役割を有していた。言い換えると、構造は相互作用における幅広いプロセスの中で利益やアイデンティティーを再定義するようアクターたちに促していた。国際関係の背後にある影響力を定義するために国家の利益を不変のものとして構成する「ラショナリストたち」の理論(ネオリベラリズムやネオリアリズム)と反対に、コンストラクティビズムはアクターたちが自身を定義する方法(彼らが誰であり、利益は何であり、目標を達成するためにどうするか)を形成する理想的な構造にフォーカスしていた。
第3に、理想的な構造やアクターたちは自身を構成し、絶えずお互いを定義していた。もし構造がアクターたちの振る舞いや利益を定義しているならば、彼らは彼らの振る舞いによって構造を変更していた。アクターが構造や元々の方法の外側で振る舞うことは困難であったが不可能ではなかった。そのような振る舞いはやり取りを変更し、構造を変更することに寄与していた。例えば、個人や国家が構造に疑問を抱き、対立に直面し当惑する機能不全の状態から脱することも当然であった。
したがってコンストラクティビストにとって、アクターの現実が常に歴史的に構成されていることを認識することは不可欠であった。現実は人間の活動の産物であり、おそらく少なくとも理論上、新しい社会的実践を始めることによって超越されることが可能であった。この変動のプロセスはゆっくりとしたものである可能性があり、時としてアクターたちは社会的共有化に数千年をかける可能性が存在していた。しかし最も強固に根付いた構造でさえ単なる意思によって疑問を投げ掛けられる可能性も存在していた。国際システムのアナーキーといった変えることができない構造によって強制される国際政治の普遍的なパターンが存在するといったネオリアリストによる主張は、コンストラクティビストたちによって激しく批判されていた。
ウェントの理論はコンストラクティビストの考え方を共有しており、主にここから派生していた。ウェントにとって、社会的コンストラクティビズムの考え方はネオリアリズムの批判において非常に過激であったが非常に限定的でもあった。観念は国際システムにおいて唯一の重要な要素であるといったことが述べられたとき、それは非常に過激になっていた。ウェントはむしろ物質的な影響力は存在しており、そのパワーはアクターの振る舞いにいくらか影響を及ぼしていると主張していた。さらに国家は同盟国の相互作用から完全に独立したアクターであるとしていた。国家は例えば貨幣同様に社会的構成物ではなかった。国家は非常に少ない基本的な利益を有しており、理想的な構造に従っていなかった(例えば「生存本能」)。
実際にどの程度明白に「物質的な」変化が相互主観的なプロセスによって成されているのかを探索せずに、パワーや利益のような現実的な変数に対する要因として観念にまつわる理論を検証するとなると、コンストラクティビストの考え方は同様に非常に限定的であった。
彼の主な仕事の目標は疑いなくケネス・ウォルツのネオリアリズムであり、彼の「究極の目標」はウォルツがリアリズムに対して行ったことをコンストラクティビズムに対して行うことであり、言い換えれば、今度は規範や観念の視点から構造の影響力を解明する一貫しシステマティックな理論を構築することだった(これはウェントとウォルツの業績のタイトルの類似性から示されている)。
2.3 ウェントのコンストラクティビズム
国家は自治の単位であり、他の国家との社会的共有化と関連していないアクターの主権に基づいた「同業組合的な」アイデンティティーを有していた。そのアイデンティティーはさまざまな個人や社会的グループの言説的実践の内側から生じていた。
この点はよりラディカルなコンストラクティビストたちによって批判されていたが、ウェントは、自治における政治的単位の特徴から生じ、基本的に必要とされているいくつかのもの、例えば、生存、自治、経済厚生、そのグループを尊重すること(つまりそのグループを正当に評価すること)に必要なものを国家は有していることを示唆していた。ウェントは、少なくとも始めのうちは国家はその同盟国を処遇することにおいて独善的に振る舞う傾向にあると主張していた。
社会的アイデンティティ理論が示すように、グループのメンバーはグループ外の個人と接するとき身びいきすると、ウェントは認識していた。国家間の相互作用における初期の段階で、さまざまなアクターたちの独善的な態度が予想されることを、このことは意味していた。
しかしながらネオリアリストのパラダイムに対するウェントの譲歩は、これらの独善的な傾向が常に優勢であり、国家は決して協調することを学ばないことを意味していなかった。国家間の相互作用はアクターたちにその意味を再定義するよう促していた。相互作用のプロセスの間、国家はある役割を採用し、その他に役割を割り振っていた。このことが2つのシナリオの内の1つを導く可能性が存在しており、自己と他者といった独善的な考え方を再生産するか、より大きな協調を促す相互主観的な空間を変化させることが挙げられていた。その主要な点は、ウェントの構造はその創造のプロセスの外に存在していないといったことだった。その構造は「存在し、その影響を有し、エージェントたちや彼らの慣行によってのみ進化する」と彼は主張していた。アクターたちは自己に必要な部分として他者を取り囲むアイデンティティーを展開させるようになっていた。
3 ウェントによる構造主義的リアリズムに対する批判
ウォルツによる国際政治の明示的なモデルの背後にアナーキーや主要な因子としての軍事力の分布を据えると、国家間の利益の分布といった暗黙的なモデルが隠れてしまうと、ウェントは主張していた。ネオリアリズムは、さまざまなタイプの国家の存在、資産を維持することを望む(現状維持の)国家や影響力によってシステムを変更することを望む(リビジョニストたちの)国家を暗黙に引き合いに出すことなしに、国際舞台で生じる変化を説明することができなかった。システムは、リビジョニストたち(フランスのナポレオンやドイツのヒトラー)の国家を含むさまざまなアナーキーの中で生存する現状維持の国家しか含んでいなかった。
リビジョニストたちの国家が隣国の存在を脅かすことによって紛争を伴うアプローチを採用するとき(ホッブズのアナーキー)、現状維持の国家は比較的平和的に振る舞う(ロックのアナーキーやカントのアナーキー)ことをウェントは示唆していた。この議論は、権威の不在によって定義されたアナーキーが自身の論理を有していないことを暗示していた。実際、アナーキーやパワーの分布の結果はそのシステムの利益(国家が望んでいるもの)の分布に大部分依存していた。
したがってアナーキーはパワーと無関係にさまざまな利益を生み出しており、パワーが大きいすべての国家が隣国を破壊することを望んでいる訳ではなかった。利益の分布における暗黙の変数はこの理論のギャップを埋めていた。最後に、もし国家が共通の基本的なもの(自治、生存、尊重)を必要としているならば、国家がこれらを必要としていることを示す方法は社会的な相互作用に依存していた。
アナーキーに関する3つの文化
私たちは上記に示されるようにアナーキーのいくつかのタイプを見てきた。それらはすべて否定的に中心となるパワーの不在によって定義されてきたが、この説明は不完全であった。ウェントははっきりと3つの文化を列挙しており(グローバル・ガバナンスに関する彼の最新の著作によれば4つだが)、それぞれが政治哲学者の名前に因んでいた。すべてのケースにおいて、国家は特徴的な振る舞いを伴うお互いとの特定の役割を採用していた。
ウェントによると17世紀までの世界における出来事を支配していたホッブズ(イギリスの哲学者であるトーマス・ホッブズ)の文化において、各々の国々はその同盟国を敵として眺めていた。他国は暴力の使用に制限を課さない一定の脅威として考えられていた。
1648年のウェストファリア条約以降の近代国家を特徴付けたロック(イギリスの哲学者であるジョン・ロック)の文化において、国家は他国をライバルとして眺めていた。各国は彼らの利益のために暴力を用いることが可能であったが、他国との協調に脅威を与えるまでには至らなかった。
民主主義間の関係の中でゆっくりと生じていたカント(ドイツの哲学者であるイマヌエル・カント)の文化において、国家はお互いをパートナーとして眺めていた。各国はお互いに対して影響力を用いる意思がなく、むしろ安全保障上の脅威に対処するために協調する意思を有していた。
これらすべての文化において、振る舞いの規範はアクターたちによって知られており、ある程度共有されていた。規範は3つのレベルで内面化されていった。第一のレベルでは、ネオリアリストの世界観に類似するが、規範への従属は単に強制による結果であり、他のアクターたちの相対的優位性に基づく制裁を理由にして、アクターは規範を受容していた。
第二のレベルでは、リベラルな世界観に類似するが、規範を正当なものとみなすからでなく、単に利益を見出すことを理由にして、アクターたちは規範に順応していった。
第一と第二のレベルでは、意見の一致は単なる手段にすぎなかった。パワーのバランスが変化し、コストが利益以上に相対的に上昇すると、規範は忘れ去られることになった。第三のレベルでは、コンストラクティビストのロジックによれば、各々の国家は規範を正当であり、国家自身の一部として受け入れていった。各国家は他国の期待を確かめ、その期待を各国家の認知の領域に含めていた。このレベルでのみ、国家の利益やアクターたちのアイデンティティーに影響を与えることによって、規範は真の意味で各々の国家を「構築」していた。
規範に依存し、アクターたちによって従属される文化に3つの形式があり、その規範の内面化に3つの程度が存在しているので、ウェントはある国際システムをある時代における9つのモードの内のある1つとして示していた。左から右といった横軸では、私たちはホッブズ、ロック、カントの文化によってそれぞれ示される「協調の程度」を見出していた。下から上といった縦軸では、内面化の3つの程度を見出していた。
3掛ける3のマスはいくつかの有用な点を示していた。それは、ホッブズの闘争システムを第三のレベル(ある社会構築)で共有され内面化された観念の産物として、そして単なる(リアリストの観点による)物質的影響力の産物ではないものとして、眺めることを許容していた。さらに、もし従属が制裁の脅威(第一のレベル)や協調を通じた単なる利益(第二のレベル)から生じているなら、高いレベルの協調(カントの文化)は狭い自己の利益の産物にすぎないかもしれなかった。したがってすべての協調がリベラリズムやコンストラクティビズムを支持しないように、すべての闘争がリアリズムを支持している訳でもなかった。すべては内面化のレベル、アクターが協調的になったり闘争的になったりする理由、彼らが敵、ライバル、友として扱われる理由に依存していた。
ウェントの主要な論点は、ある時代における国家に見出される文化は自己や他者の間で共有される視野を再生産し変更する言説的社会的実践に依存しているということであった。アナーキーは国家が作り出すものであった。アクターたちがお互いに対して独善的にそして攻撃的に振る舞い続けるときでしか、ホッブズのシステムは維持されることが不可能であった。そのような文化は、ネオリアリストたちによって主張されるようにアナーキーやパワーの物理的分布による必然的な結果ではなかった。実際、現実の政治は予言の中身を自分で達成する予言そのものであった。
もしアクターたちが他者を平等に扱いながらさまざまに振る舞うならば、ホッブズの文化は徐々にロックやカントの文化に進化したかもしれなかった。ウェントが私たちに述べた、文化はすでに与えられた事実ではなく、むしろ歴史的社会的プロセスの産物であるということを忘れないことが重要であった。今日の国際関係論における「常識」は、国家の本能的な特徴の反映ではなく、時代を超えて進化した観念の産物自身であった。新しい振る舞いを採用することによって、国家は集合的な行動や歴史的不信といった問題を超越する新しい観念的構造を生み出すことが可能であった。
自我を社会プロセスの産物として眺めるコンストラクティビストの見方は、自己の利益はアクターの振る舞いにおける本質的で永続する特徴ではないことを私たちに理解させていた。ウェントによれば「もし利益が実践によって永続されないならば、それは消えてしまうだろう」といったことが述べられていた。
http://de.wikipedia.org/wiki/Konstruktivismus_(Internationale_Beziehungen)
コンストラクティビズム(国際関係論)
コンストラクティビズムは国際関係論における包括的でさまざまなメタ理論的アプローチである。特に1990年代以降、それは理論として機能していた。その際、ある社会理論的仮定に従った国際的な国家システムとその展開が示されていた。アレクサンダー・ウェントによれば、人間の共生は物理的要因よりむしろ共有された観念によって本質的に決定され、アクターたちはその本質的な特徴を通じてではなくこれらの共有された観念を通じてアイデンティティーや利益を形成していたといったことを、このことは含んでいた[1]。
1 理論の展開
予想外の冷戦の終結は、リアリストたちによって示されていた実証結果に疑念を投げかける理由を与え、インスティチューショナリストたちが現に生じていた国際的な国家システムに対する見解を代弁するようになっていた[2]。ウォルツから今日までネオリアリズムは、なぜ一極集中の国際システムは「勢力均衡」の意味での対立極を生み出さないのかについて決定的な説明を与えることができなかった。
2 理論の派生
政治学におけるコンストラクティビズムは政治行動のパターンにフォーカスしていた。その典型は、哲学や隣接科学におけるコンストラクティビストの理論に基づき、社会情勢の結果としての行動はむしろ主流を占めた社会構造についての知識を理解しているといったことだった。このことは政治学におけるコンストラクティビズムを例えばリアリズムやネオリアリズムのような国際関係論における競合する理論と区別しており、そこから客観的に合理的な行動のパターンやその客観情勢による強制といった結論を派生していった。
政治学におけるコンストラクティビストによるアプローチの多様性にもかかわらず、最小限のコンセンサスに関する存在論を語ることは可能であった。つまりこのアプローチは国際関係においてどのように構造とアクターたちが社会的に構築されているかを検証していた。政治学におけるコンストラクティビズムの核心は次の通りになる。つまり社会的アイデンティティーを伝え、振る舞いを開放したり制限したりすることによって、社会構造やアクターたちはお互いを構築していた。そのときに物質的世界は完全に無視されている訳ではなく、仲介する社会構築を通じて理解されるのみであると考えられていた。
政治学におけるコンストラクティビズムが有する行動指向といった傾向は、社会的行動がその行動を再生産するないし変更をもたらす社会構造を生じさせることを想定していた。これらの行動は引き出される意味がある規範や価値観によって動機づけられていた。一例に人権組織があり、その活動やキャンペーンを通じて、国際政治のアクターたち、例えば国家に影響を及ぼすことが挙げられていた。これを背景にして冷戦後コンストラクティビズムは国際関係においてますます重要な役割を演じていた。コンストラクティビズムはリアリズムと対照的にこの世界の変化を説明することが可能であった。ドイツの論壇ではこれらのアプローチの代表者としてトーマス・リッセやアンヤ・イェットシュケを挙げることができた。
同様にプラグマティックなアプローチと関連しているウィトゲンシュタイン、オースティン、サールによって展開された政治学におけるコンストラクティビズムは行動理論を指向しており、例えばそれはニコラス・オナフによって1989年に概説されていた。そこで言語は社会的活動の1つの形式として認識されており、その形式を通じて社会構造(社会秩序、統治構造)が(再び)生み出されていた。その狙いはそのような構造が生じることに対する説明を彼らの分析より簡潔にし、どのようにコミュニケーションを通じて利点や活動の可能性を分配させるのかといった問題意識にあった。
アレクサンダー・ウェントは政治学におけるコンストラクティビズムに関する適度な形式の存在を示唆しており、それはリアリストやネオリアリストのアプローチにおける要素を包含することを望んでいた。そこにはどの程度どんな形式でその科学的説明が経験的現象を追求するべきかといった問いが存在していた。さらにラディカルなアプローチが、自然科学で一般的な「実証主義者」の説明を社会科学の分野において解説的で「構成的な」解釈を通じて置き換えることを主張している一方、ウェントは、構成的な関係の分析を通じて因果関係の説明を保管することや、アイデンティティー、利益、パワーの関係による創造を社会的に共有された観念や文化を経た社会的意味の再形成を観察することによって基礎付けることを主張していた。
「物質世界が人間そして人間間の行動を創造し、そしてその行動から物質世界が創造された方法は、これらの物質世界に対するダイナミックな規範的そして認識論的解釈に依存しているとの信念である」として、エマヌエル・アドラーは政治学におけるコンストラクティビズムを定義していた[3]。
他の代表者は例えばテッド・ホプフ、コリン・カール、フリードリッヒ・クラトチウィルである。
3 評判
政治学におけるコンストラクティビズムは、それが事後的な説明のみ示し、予測や実際の出来事の説明を与えることがないことにより批判されていた。この批判は直接にはコンストラクティビズムに当てはまらず、それは想定によって自身に対して予測する能力を要求されていないからであった。しかしながら予測可能なパワーは国際関係論におけるほとんどすべての理論における重要な特徴であり、知識の増加はコンストラクティビストのアプローチによって批判的に眺められていた。
http://de.wikipedia.org/wiki/Alexander_Wendt
アレクサンダー・ウェント
アレクサンダー・ウェント(マインツで1968年6月12日に生まれた)はアメリカの政治学者である。今日彼は政治学におけるコンストラクティビズムの最も重要なアメリカの代表者の1人として考えられている。
1 経歴
ウェントのドイツ系アメリカ人の家族はその誕生後2年でアメリカに移った。1977年から1982年までウェントはセントポール(ミネソタ州)のマカレスター・カレッジで政治学と哲学を学んだ。彼の研究は7年後の博士号取得まで継続していた。ミネソタ大学での彼の博士課程における指導教授はレイモンド・デュバルで、社会理論の研究について熱心であった[1]。
2004年から彼はオハイオ州立大学政治学部の国際安全保障担当の教員であり、「国際関係論」、「社会科学における哲学」、「国際組織」にフォーカスしていた。
彼の前歴は、シカゴ大学(1999年から2004年、准教授、政治学部)、ダートマス大学(1997年から1999年、准教授、政治学部)、イェール大学(1995年から1997年、准教授、1989年から1995年、助教、政治学部)であった。
2 理論のアプローチ
彼の特筆すべき論争を呼んだ論文である『アナーキーは国家が作り出すもの:パワー・ポリティクスにおける社会構築』、インターナショナル・オーガニゼーション、Vol.46、No.2 において、ウェントは政治学における構造的コンストラクティビズムについて説明していた。
リベラルな理論を引き合いに出し、彼はネオリアリストのパラダイムを批判し、国家は関心のある安全保障に対して独善的に1人で振舞うが、アナーキーな状態でも国家は例外的に協調できると主張していた。ウェントは、国家の行動は「構造」によってのみならず、「プロセス」によっても影響される(相互作用や学習を含む)と主張していた。したがって学習し相互作用するプロセスの中で、国家は彼らの振る舞いだけでなく彼らのアイデンティティーや利益も変えることが可能であった。そしてまさに独善的に振舞っているときでも、国家はお互いと協調することが可能であった。彼は、構造的なコンストラクティビズムのモデルの中で、アクターたち(つまり国家)に内在する利益やアイデンティティーを説明しようとしていた。
アクターたちの利益やアイデンティティーを説明しようとするこの「社会理論」をニコラス・オナフは「コンストラクティビズム」と名付け、国際関係論の中に初めてこの理論が登場することになった。彼の理論は1980年代の後半つまり冷戦の終わりにおける国際システムの劇的な変化に直面しながら登場していた。
「本論文における私の目的は2つの伝統(ネオリアリズム対ネオリベラリズム)の間に橋をかけることであり(...)、コンストラクティビストの議論を発展させ、構造主義者やシンボリックな相互影響論者から離れ、国際機関は国家のアイデンティティーや利益を変えることが可能であるといったリベラルな主張を行いたいがためである。システムに対する主流派の国際分野に関する学問を「経済的に」理論化することと対照的に、これはシステムの理論に対する社会学的なそして社会心理学的な形式を含み、そこではアイデンティティーや利益は従属変数である。」
ーアレクサンダー・ウェント:インターナショナル・オーガニゼーション、Vol.46、No.2 S.394 (1992年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Constructivism_(international_relations)
コンストラクティビズム(国際関係論)
国際関係論の分野でコンストラクティビズムは、国際関係の重大な局面は人間の特徴や世界政治における他の基本的な特徴に対する必然的な結果であるというよりむしろ、歴史的にそして社会的に偶発的なものであるといった主張になる[1]。
1 展開
ニコラス・オナフは、国際関係において社会的に構築された特徴を強調する理論を示すために「コンストラクティビズム」という用語をあてたことに功績があった[2]。現代のコンストラクティビストの理論はオナフだけでなくリチャード・K・アシュリー、フリードリッヒ・クラトチウィル、ジョン・ラギーによる先駆的な業績にまで遡ることができた。それにもかかわらず、アレクサンダー・ウェントは国際関係論における社会構成主義の最も著名な擁護者であった。インターナショナル・オーガニゼーションにおけるウェントの論文である『アナーキーは国家が作り出すもの:パワー・ポリティクスにおける社会構築』は、ネオリアリストたちやネオリベラル・インスティチューショナリストたちによって共有されている欠点、つまり物質主義に対する傾倒であるとウェントが考えているものに疑念を投げかける理論的基盤であった。「パワー・ポリティクス」のようなリアリストにとっての核となる概念でさえ社会的に構築され、つまり固有の性質によって生じるのではなく、人間の実践によって変更される可能性があることを示すことによって、ウェントは、国際関係論におけるある世代がコンストラクティビストの展望から幅広い問題の中にその活動を求める方法を切り開いていた。ウェントはさらに『国際政治の社会理論』(1999年)といった彼の中心となる仕事の中でこれらの考えを展開していた。
1980年代後半から1990年代初頭にかけて、コンストラクティビズムは国際関係論における主要な学派の1つになった。ジョン・ラギーたち[3]はコンストラクティビズムのいくつかの要素を確かめていた。他方でマーサ・フィネモア、キャスリン・シッキンク、ピーター・カッツェンスタインや、業績が国際関係論の主流派の中で広く認められ、リアリストたち、リベラリストたち、コンストラクティビストたちの中で活発な議論を生じさせたアレクサンダー・ウェントのようなコンストラクティビストたちが存在していた。またラディカルなコンストラクティビストたちは言語により重点を置いていた。
2 理論
ネオリアリズムやネオリベラリズムにおける仮定と対照的に、国際関係論においてどれ程多くの核心的な概念が社会的に構築され、つまり社会的実践や相互作用のプロセスによってその形式を与えられているかを示すことを、コンストラクティビズムは本質的に望んでいた。アレクサンダー・ウェントはコンストラクティビズムにおける基本的な2つの考え方について「(1)人間関係の構造は物質的な影響力よりもむしろ共有された考え方によって本質的に決定されており、(2)合目的的なアクターたちのアイデンティティーや利益は固有の性質によって与えられるよりむしろこれらの共有された考え方によって構築される」と主張していた[4]。
2.1 リアリズムに対する挑戦
コンストラクティビズムが形成されていた頃、ネオリアリズムは国際関係論における主流の学派であったので、コンストラクティビズムの初期の業績の多くはネオリアリストによる基本的な仮定に疑念を投げかけることの中に存在していた。ネオリアリストたちは因果関係を示す際に基本的に構造主義的であり、その点で、国際関係論における重要な中身の大半は国際システムの構造によって説明され、この立場はケネス・ウォルツの『人、国家、戦争』の中に最初に登場し、ネオリアリズムの核心となる彼の著作である『国際政治の理論』の中で完全に説明されていることを支持していた。具体的には、国際政治は国際システムがアナーキーであるといった事実によって本質的に決定されており、そこにはいかなる包括的な権威も存在せず、その代わりにそれは形式的に平等なユニット(国家)によって構成されており、それらは自身の領土にすべての主権を有していた。そのようなアナーキーは国家が安全保障において他の誰でもなく自身にしか依存できない(自身を自身によって助けなければならない)ように振る舞うことを強制していると、ネオリアリストたちは主張していた。パワーに関して自己の利益を守るためにそのように振る舞うことをアナーキーが強制する状況は国際政治の大半を説明すると、ネオリアリストたちは主張していた。このためネオリアリストたちはユニットや国家のレベルでの国際政治に関する説明を無視する傾向にあった[5][6]。ケネス・ウォルツはこのようなフォーカスを還元主義的であるとして批判していた[7]。
ネオリアリストたちによる「構造」に起因するパワーは実際には「与えられて」おらず、構造は社会的実践によって構築されるといったことを示すことによって、特にウェントの業績の中でコンストラクティビズムはこの仮定に疑念を投げかけていた。システムにおけるアクターたちのアイデンティティーや利益に関する固有の性質や社会制度(アナーキーを含む)がそのようなアクターたちのために有している意味についての推測を除外すると、ネオリアリズムの「構造」はほとんど何も説明しておらず、「2つの国家が友好的であるか敵対的であるか、お互いの主権を認めるのか支配と従属の関係になるのか、リビジョニスティックになるのか現状維持的になるのか等について予想がつかない」と、ウェントは主張していた[8]。そのような振る舞いの特徴はアナーキーによって説明されず、その代わり主要なアクターたちによって支持される利益やアイデンティティーについての事例を取り込むことを必要としていたので、システムの物質的な構造(アナーキー)に対するネオリアリズムのフォーカスは的はずれであった[9]。しかしウェントはこの考え方をさらに進め、アナーキーが国家に制約を課す方法は国家がアナーキーを考慮し、彼ら自身のアイデンティティーや利益を考慮する方法に依存しているので、アナーキーは必然的に「自己を助ける」システムでさえある必要はないと主張していた。安全保障を競争的で相対的な概念として眺め、そこである国家に対する安全保障上の利得が他国にとっての安全保障上の損失を意味しているといったネオリアリストによる国家に関する仮定が妥当であるならば、国家は自身で自身を助けることを強制されるのみであろう。国家が他国の安全保障に否定的な影響を及ぼすことなく自国の安全保障を高めることが可能であるといった意味で「協調的で」、国家が他国の安全保障を自国にとって価値があると認めるといった意味で「集合的に」代替的な安全保障に関する考え方をその代わりに採用するならば、アナーキーはすべてのアクターたちに対して自身で自身を助ける状況を導かないだろう[10]。社会制度の意味がアクターたちによって構築される方法についての暗黙で疑問を投げかけられることのない仮定に、ネオリアリストの結論は依存していた。重要な点として、ネオリアリストたちはこの依存性を認識することに失敗しているので、彼らはそのような意味が不変であると誤って仮定しており、ネオリアリストの観察の背後にあり重要な説明をしている社会構築のプロセスの研究を除外していた。
2.2 アイデンティティーと利益
コンストラクティビストたちは国際的なアクターたちの振る舞いに対するアナーキーの決定的な影響に対するネオリアリズムによる結論を拒否し、ネオリアリズムの背後にある物質主義から距離を置いているので、国際関係論を理論化するために国際的なアクターたちのアイデンティティーや利益に必要とされる場を創造していた。アクターたちは自身で自身を助けるシステムからの束縛によって単純に支配されていないので、彼らのアイデンティティーや利益はどのように彼らが振る舞うかを分析することにおいて重要になっていた。国際的なシステムに固有な性質と同様に、物質的なパワーに客観的に基づいたもの(例えば古典的リアリズムにおける人間固有の性質)としてではなく、観念や観念に対する社会的構築の結果としてアイデンティティーや利益をコンストラクティビストたちは眺めていた。言い換えれば観念、目的の対象、アクターたちの意味はすべて社会的相互作用によって与えられていた。私たちは目的の対象にその意味を与え、異なったものに異なった意味を付与することが可能であった。
マーサ・フィネモアは、アクターがその利益を認識することにおける社会構築のプロセスに国際機関が含まれる方法を検証することにおいて影響力を有していた[11]。国際社会における国内の利益に関して、フィネモアは「パワーでなく社会的価値における国際的構造を検証することによって国家の利益や国家の振る舞いを理解するためのシステマティックなアプローチを展開しよう」としていた[12]。彼女は「利益は単にその外に存在している訳ではなく、発見されることを待っており、社会的相互作用を通じて構築されていた」と説明していた[12]。フィネモアはそのような構築に対して3つのケーススタディを与えており、ユネスコの影響による国家における科学官僚制の創造、ジュネーブ条約における赤十字の役割、貧困に対する態度に与えた世界銀行の影響が挙げられていた。
そのようなプロセスの研究は国家の利益やアイデンティティーに対するコンストラクティビストの態度の例であった。固有の性質や形成に対する研究は国際システムを説明することに対するコンストラクティビストの方法論にとって不可欠であったので、そのような利益やアイデンティティーは国家の振る舞いにとっての中心となる決定要因であった。しかし国家の特質であるアイデンティティーや利益に再びフォーカスしているにもかかわらず、コンストラクティビストたちは国際政治のユニット・レベル、つまり国家における分析にフォーカスすることを必然的に受け入れようとはしなかったことを記すことは重要であった。フィネモアやウェントのようなコンストラクティビストたちは、観念やプロセスがアイデンティティーや利益の社会構築を説明する傾向にある一方、そのような観念やプロセスは国際的なアクターたちに影響を及ぼす彼ら自身の構造を形成していることを強調していた。ネオリアリストたちとの主な区別は物質的というよりむしろ本質的に観念的に国際政治の構造を眺めていることにあった[13][14]。
2.3 研究分野
目標、脅威、恐れ、文化、アイデンティティー、他の「社会的現実」を示す要素を社会的事実として眺めることによって、多くのコンストラクティビストたちは国際関係を分析していた。重要なこととして[15]、コンストラクティビストの研究者たち[16]は国際政治の力学、特に軍事問題における多くのリアリストの仮定に疑念を投げかけていた。トーマス・J・ビアステーカーやシンシア・ウェーバー[17]は、国家の主権の進化を国際関係論における中心的なテーマとして理解するために、コンストラクティビストのアプローチを採用し、ロドニー・ブルース・ホール[18]やダニエル・フィルポット[19]等の仕事は国際政治の力学における主要な変化に対するコンストラクティビストの理論を展開していた。国際政治経済学ではコンストラクティビズムの適用はやや不活発であった。この分野におけるコンストラクティビストの業績の著名な例は、キャサリン・R・マクナマラによる欧州通貨同盟の研究[20]やマーク・ブライスによるアメリカにおいてレーガノミックスが生じたことに対する分析[21]を含んでいた。
どのように言語やレトリックが国際システムにおける社会的現実を構築するために用いられていたかにフォーカスすることによって、コンストラクティビストたちはしばしば純粋な物質主義者の存在論に忠実なリアリズムより国際関係における進歩に関して楽観的であったが、多くのコンストラクティビストたちはコンストラクティビストの思想が有する「リベラルな」特徴に疑問を投げかけており、パワー・ポリティクスから解放される可能性に関するリアリストの悲観論に大きな同情を寄せていた[22]。
コンストラクティビズムはしばしば国際関係論における二大理論、リアリズムやリベラリズムに代わるものとして示されてきたが、一部の人々はコンストラクティビズムが必然的に両者と矛盾するものではないと主張していた[23]。例えばアナーキーの存在や国際システムにおける国家の中心性のような主要なリアリストとネオリアリストの研究者が主張するいくつかの重要な仮定をウェントは共有していた。しかしながらウェントは物質主義者の意味でよりむしろ文化の中にアナーキーを据えており、同様に国際関係論におけるアクターとしての国家といった仮定を理論的に洗練して擁護していた。一部のコンストラクティビストたちはこれらの仮定の内のいくつかにおいてウェントに対して疑念を投げかけていたので、このことは国際関係論のコミュニティーにおいて論争になっていた(例えば、レビュー・オブ・インターナショナル・スタディーズ、vol.30、2004年の論争を参照せよ)。
2.4 最近の展開
社会構築のプロセスを研究している研究者の相当数のグループは意識して「コンストラクティビスト」とレッテルを貼られることを避けていた。彼らは、「主流派」のコンストラクティビズムは言語的側面からの最も重要な洞察や国際関係論における「科学的」アプローチとしての尊敬を追求することにおける社会構成主義の理論の多くを放棄していると主張していた[24]。例えばジェフリー・チェッケルのような一部の一般的に「主流派」とみられるコンストラクティビストたちでさえ、コンストラクティビストたちがコンストラクティビストでない学派の間に橋を架ける労力以上に遠いところに行ってしまったことに対する懸念を表明していた[25]。
相当数のコンストラクティビストたちが現在の理論は国際政治における習慣に基づいた分別のない振る舞いの役割に不十分な配慮しかしていないことに同意していた[26]。「実践」の擁護者たちは社会学者であるピエール・ブルデューと同様に神経科学の業績からインスピレーションを得ており、それは心理的、社会的生活における習慣の意義を強調していた[27][28]。
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