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ネオリアリズムに対して1970年代にロバート・コヘインやジョセフ·ナイによって展開された新自由主義理論は経済学やゲーム論の分野における同義語と混同されるべきではないが、国際システムはアナーキーであり、国家は中心的なアクターであり、同時に国家は合理的だがエゴイスティックなアクターであるといったいくつかの現実的な考え方を支持しており、国家群を機能させるために国際協調を促し、無秩序に内在する不確実性を減少させることを提唱していたが、パワーの増大が常に他のパワーを犠牲にしてなされているといった現実的な観点を無視しているといった指摘も存在していた。

ジョセフ·ナイは、アメリカの覇権主義的な立場は様々な要素の組み合わせの下で弱まっていくだろうと考えており、またアメリカの孤立主義に反対しており、国境を越えた相互依存関係に関連した多くの問題を取り上げていた。そして、ブッシュの政策を検証しており、その単独行動主義と農業政策はパワーの変化を顧みることに失敗しており、ソフト・パワーを無視していたと述べていた。

コリン·パウエルは2003年の世界経済フォーラムで政治的アクターの能力を表すためにソフト・パワーの概念を用い、その考え方は1990年代のアメリカにおいて展開されていたが、その類似した考え方は19世紀のイギリスで生まれたものだった。部分的にはイギリスの文化や文学(シェークスピア、シャーロック・ホームズの冒険、ルイス・キャロルの不思議の国のアリス)を通じて、多くの国々によってフェアプレイやアマチュアリズムのような基準が採用され、イギリスが19世紀から20世紀初頭において強い影響力を行使することができるようになっていたことを背景にしていた。

ジョセフ・ナイにとって、ソフト・パワーは強制(アメと鞭)では機能しない現代の国際政治における新しいパワーの形態であるが、新たな認識の下であなたの国々と同じことを他国が望んでいることを確認させることでもあった。そしてそれは国家に対する肯定的なイメージや評判のような無形のリソースであった。

ナイによれば、アメリカは他の諸国より大きなパワーを有しているが、個人的なアクターの興隆によってグローバル経済において以前ほどのパワーを有することはなく、個人的なアクターはまとまりのない中で影響力を増大させると見られていたが、グローバル・ガバナンスに対する個人の影響力の寄与に関して結論を引き出すことはなかった。短期的にアメリカは、普遍的な価値を促進し、アメリカの政策を受け入れるための魅力を維持し、反米感情の展開を避けるために、国際機関に依存しなければならなかったが、長期的には、パワーの均衡へ世界を導くことによって、新しい技術の普及がアメリカの無形のリソースを低下させると見られていた。

一般的に、共和党が純粋なパワー・ポリティクスに惹かれている(共和党所属の多くはアメリカの価値観を広め、その対外イメージを改善する公共外交を望むだろう)ことと反対に、民主党は支持を取り戻すためにソフト・パワーの理念に言及することが多かった(バラク・オバマによって提案された政策に関連してよく用いられる概念であった)。しかしナイ自身は「冷戦期にそうであったように、アメリカはハード・パワーとソフト・パワーをスマート・パワーの中に融合させていた」と述べていた。2009年2月21日ソウルで、アメリカ国務長官であるヒラリー・クリントンは、オバマ政権のスマート・パワー戦略を構築したいと述べていた。

映画はソフト・パワーのツールとして重要な例だった。アメリカ人はアメリカ海軍特殊部隊の勝利とテロリストの死をもたらす大統領の決定で終わるキャスリン·ビグローによる最近の長編映画のタイミングについて議論していた。一方ペンタゴンは例えばトップガンのようにハリウッドの映画製作者たちと協力し合う長い伝統を持ち合わせており、軍は上映に対してその影響力を鼻にかけ、助言や戦争の現場で用いられる素材を提供し、たとえばリドリー·スコットが『ブラックホーク・ダウン』(2001)を撮影する際、ソマリアでのアメリカ兵の別の側面を示すために、ヘリコプターやそのパイロットを貸し出していた。しかしコッポラの『地獄の黙示録』に対して軍は援助を拒否していた。

ソフト・パワーのリソースとして、映像業界は影響力や正当性における主要な地位を示しており、公共の場における外交は産業時代における外交とはもはや異なっていた。日本の松下がミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカを買収したとき、日本に対する批判を封じ込めることを松下が表明していたため、製作のプロセスや情報発信に対する日本側のコントロールや日本の伝統である自己批判の欠如が日本の信頼性にとって致命的になっていた。この日本の監視の文化や日本政府によるコントロールにとらわれ、日本は世界との接点を探ることに失敗していた。日本がパワーの外に正当性を訴えることは不可能になっていた。しかしほとんど補助金を得ておらず独立しているイスラエルの映画は、戦争に直面している国に対する批判的な見解(『バシールとワルツを』、『ビューフォート』)、住民が困難に遭遇し、同性愛に関連した(『バブル』、『ウォーク・オン・ウォーター』)、家族(『シリアの花嫁』)、宗教的過激主義(『カドッシュ』)を提供することができていた。プロパガンダを行うことでなく個人を強調することに成功した例として、『ペルセポリス』とイラン、『カブールの子供』とアフガニスタンの関係が挙げられていた。

『不滅の大国アメリカ』(1990)の中で、ナイは超大国としてのアメリカの早期の終焉を予想するいわゆる「ディクライニスト」の見解に反論し、伝統的な理論に対する固執が現代政治における政府の戦略を誤ったものに導く可能性があることを指摘していた。そしてこの本の中で初めてソフト・パワーの概念に言及していた。

『アメリカへの警告――21世紀国際政治のパワー・ゲーム』(2003)の中で、ナイはテロリストによる攻撃を「世界で生じている大きな変化の兆しである」と認識していた。それは、情報・通信の分野における技術の進歩とグローバル化によって、新しい国際的なテーマが、もはやそれ単独では解決できないことを示していた。そして一国主義、覇権主義、支配に基づいた伝統的な政策から離れる必要が存在していた。

『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』(2004)の中で、ナイは外交政策における多国間主義を主張しており、ソフト・パワーというシステムはテロリズムがより多くの支持者を獲得するのを防止するとされ、国家の間に広がるグローバルな要求に対処するのに役立つとされていた。

ナイによればソフト・パワーの主なリソースは文化、政治的価値観、外交政策であったが、ユルゲン·ハルトマンによれば現代においては宗教や言語もリソースに含まれ、科学や技術も同様であった。

2007年に中国の国家主席である胡錦濤は、中国はソフト・パワーを強化する必要があると、第17回共産党大会で述べ、アメリカ国防長官のロバート・ゲーツは、外交、戦略的対話、対外援助、市民活動、経済復興と開発といった国防手段に対する支出を劇的に増加させることによってアメリカのソフト・パワーを強化する必要があると述べていた。2010年に中華民国の元副総統である呂秀蓮は韓国を訪問し、国際紛争を解決するためのモデルとして中華民国がソフト・パワーを採用するように主張していた。

2005年のインド洋での津波や南アジアでの地震の後のアメリカ軍による人道援助のような仕事はアメリカの魅力を回復するのに役立っていたが、中東等におけるアメリカの軍事行動がアメリカのソフト・パワーを弱体化させたように、ソビエト連邦は第二次世界対戦後数年間大きなソフト・パワーを有していたが、ハンガリーやチェコスロバキアに対してハード・パワーを用いたので、ソフト・パワーを破壊してしまっていた。

他方『コロッサス』の序文の中でニーアル・ファーガソンが批判したように、ネオリアリスト、ラショナリスト、ネオラショナリスト(スティーヴン・ウォルトを除く)は、国際関係におけるアクターは経済的インセンティブと軍事力といった2つのタイプのインセンティブにしか反応しないとの仮定から、一般的にソフト・パワーに関心を示してこなかった。

またジャニス・ビアリー・マターンは、明示的な脅威を含んでいないので、「あなたがたは私たちに賛成しているか反対しているかのいずれか一方である」といったジョージ・W・ブッシュの言葉はソフト・パワーの行使に含まれると主張していたが、ラショナリストによれば、これは暗黙の脅威であり、「私たちに反対すれば」、直接経済的軍事的制裁が行われることを示すものであるとの反論が存在していた。

一方、ある場合、ソフト・パワーは他のエリートが好ましい結果を人に許容する政策を採用する可能性を増大させるだろう。他国で好ましく思われることが地元での政治的敗北と思われる他の場合には、ソフト・パワーの弱体化は政府が特定の目標を達成することを妨げる方向に作用するだろう。しかしそのような場合でさえ、市民社会や国家に属さないアクターの相互作用は民主主義、自由、発展といったさらに一般的な目標を達成することを手助けすることもあるかもしれない。ソフト・パワーはいかなる国々やアクターにとっても独占の対象とはなりえないとの指摘が存在していた。

ソフト・パワーはグローバル化や新自由主義的国際関係論の高まりとしばしば関連しており、大衆文化とメディアはソフト・パワーのリソースとして認識されており、ソフト・パワーや善良な意思にあふれる国家は他者を同化させるように促し、高価なハード・パワーに対する支出を避けるだろうとの視点が存在していた。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、フランス、ドイツ、アメリカのWikipediaの「ジョセフ·ナイ」、「ネオリベラル・インスティチューショナリズム」、「ソフト・パワー」の項目を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Joseph_Nye

ジョセフ·ナイ

1937年に生まれたジョセフ·ナイは国際関係における地政学の専門家である。2009年から彼は三極委員会の北米議長に就任している[1]。

1 キャリア

1.1 研究

ナイはプリンストン大学から最優等学士号を取得して(最高の栄誉を伴い)卒業した。ローズ奨学金によってオックスフォード大学で哲学、政治学、経済学を学んだ後、彼はハーバード大学で博士号を取得した。

1.2 大学でのキャリア

1.2.1 教授

ナイは現在、以前学長を務めたことがあるハーバード大学のケネディ行政大学院の教授である。

1.2.2 基礎

ナイはロバート・コヘインと共に国際関係におけるネオリベラル・インスティチューショナリズムの設立者である。両者はパワーと相互依存に関する理論的アプローチを1977年に展開していた。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Institutionnalisme_néolibéral

ネオリベラル・インスティチューショナリズム

国際関係の研究では、ネオリベラル・インスティチューショナリズムやトランス・ナショナリズムは国際的なシステムの内にある制度を重視した理論的アプローチであり、それは国境を越えたアクター(例えばNGO、テロ、移民)を意味し、国家以外の対象を意味していた。ネオリアリズムに対して1970年代にロバート・コヘインやジョセフ·ナイによって展開された新自由主義理論は経済学やゲーム論の分野における同義語として用いられているが、それらと混同されるべきではない。

ネオリベラル・インスティチューショナリズムはいくつかの現実的な考え方を支持していたが(国際システムはアナーキーであり、国家は中心的なアクターであり、同時に国家は合理的だがエゴイスティックなアクターであるといったこと)、制度の役割や影響を強調するためにそれらを修正していた。

このように国家を共に機能させる制度は国際協調を促し、無秩序に内在する不確実性を減少させていた。

リベラル・インスティチューショナリズムは、パワーの増大が常に他のパワーを犠牲にしてなされているといった現実的な観点を無視しており、むしろこのパワーの増大は他のパワーに影響することなしに行われると考えていた。

1.2.3 認知

2005年にナイは国際関係における10人の最も有力な教授の内の1人として選ばれていた。

1.3 政治におけるキャリア

ナイはカーター政権で国務次官補を務め、クリントン政権(1994-1995)で国防次官補を務めたが、多くの人々によるとジョン・ケリー候補の安全保障アドバイザーとして考えられていた。彼は外交政策におけるリベラルな思想家の1人として認識されており、保守的な政治学者であるサミュエル・P・ハンティントンに対するリベラルな相手として考えられていた。

2 理論

2.1 アメリカのヘゲモニー

ジョセフ·ナイにとって、アメリカの覇権主義的な立場は様々な要素の組み合わせの下で弱まっていくだろうと考えられていた(地理的、経済的競争や、ベトナムやイラクでの軍事的行き詰まり)。アメリカの進歩はこの停滞に対する見識を過小評価していたけれども、ジョセフ·ナイはますます避けられなくなるだろう相互依存を背景にしてアメリカのパワーを回復することを提案していた。アメリカの国際関係における一方的な撤退が不可能であることに言及し、ジョセフ·ナイは覇権主義に対するリーダーシップを提唱していた。このことが彼にソフト・パワーの概念を展開させていた。

2.3 アメリカの孤立主義と干渉主義

ナイは同様にアメリカの孤立主義に反対しており、アメリカは合意を維持し世界に影響を及ぼす広範な手段を保有しつづけることを示していたが、それらは必然的なものではなく、特にクリントンは国内問題に焦点を当てることを望んでおり、ブッシュはこの姿勢に反対していた。しかしナイは新たな課題よりもむしろ国境を越えた相互依存関係に関連した多くの問題を取り上げていた。したがって『アメリカへの警告―21世紀国際政治のパワー・ゲーム』の中で、ナイはブッシュの政策を検証しており、その単独行動主義と農業政策はパワーの変化を顧みることに失敗しており、ソフト・パワーを無視していたと述べていた。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Soft_power

ソフト・パワー

ソフト・パワーは国際関係論で用いられる概念である。それはアメリカのジョセフ・ナイ教授によって展開され、多くの政治指導者によって10年の単位で引き継がれてきた。コリン·パウエルは2003年の世界経済フォーラムで政治的アクターの能力を表すためにそれを用い、国家、多国籍企業、NGO、国際機関(国連やIMFなど)、市民ネットワーク(グローバル正義運動など)は間接的に別のアクターの振る舞いや(構造的、文化的、イデオロギー的な)強制力のない手段を介して別のアクターによる固有の利益の定義に影響を与えていた。その考え方は1990年代のアメリカにおいて展開されていたが、19世紀のイギリスで生まれたものだった。それは部分的にはイギリスの文化や文学(シェークスピア、シャーロック・ホームズの冒険、ルイス・キャロルの不思議の国のアリス)を通じて、また多くの国々によってフェアプレイやアマチュアリズム(トーマス・アーノルドや大学ラグビーの研究[1]による)のような基準が採用され、イギリスは19世紀から20世紀初頭において強い影響力を行使することができるようになっていた。

1 考え方の起源

その考え方は『不滅の大国アメリカ』[2]の中で1990年にジョセフ・ナイによって提案されており、アメリカのパワーの衰退を思い出させる議論(ポール・ケネディの『大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争』を含む)に応えて書かれた作品になる。パワーの概念はもはや同じものではなく再考されるはずであるから、アメリカのパワーは落ち込みを示すことはないだろうと、ナイは議論していた。一方でアメリカは巨大な軍事力を長い間保有していたが、他方でヨーロッパや日本の経済的追い上げは第二次世界大戦における不平等な偏りから脱却する過程における予見できる結果であった。しかしとりわけ、現在のアメリカは比較的新しい優位な条件を有しており、将来的にますます重要な役割を果たすようになる、つまりアメリカの強さや脅威を用いずに他の国を促し説得する役割を、ジョセフ・ナイは主張していた。ジョセフ・ナイにとって、これは強制(アメと鞭)では機能しない現代の国際政治における新しいパワーの形態であるが、新たな認識の下であなたの国々と同じことを他国が望んでいることを確認させることでもあった。ジョセフ・ナイによれば、ソフト・パワーや新たな認識によるパワーは国家に対する肯定的なイメージや評判のような無形のリソースであり、その威信(しばしば軍事的的そして経済的なパフォーマンスであった)、コミュニケーション・スキル、企業の開放の程度、その模範的な振る舞い(国内政策だけでなく外交政策の中身やスタイルも含む)、その文化の魅力、その思想(宗教、政治、経済、哲学...)、その科学技術の影響、国際機関で議題をコントロールする立場(議論の正当性を決定すること)、好ましいタイミングでパワーの均衡を保つことを含んでいた...。

2 概念

ソフト・パワーは世界経済で繰り広げられるパワーの呼称ではなく、他国における特定のリソースを説明していたが、その重みが肝要とされていた。アクターにとって利用可能なパワーのリソースは一貫して異なったタイプのパワーを行使することを可能にしていた。

命令するパワー、つまり他者が行うことを変更する能力は、強制や誘導(報酬の約束による)に依存している可能性があった。新たな認識の下でのパワー、つまり他者が望んでいるものを変更する能力は、現在のところ非現実的な課題であると思われている見解を他者が表明することを妨げるために、現在の政治的なハイアラーキーを定める能力や誘因に依存している可能性があった。

体制の理論がどのように世界はワールド・リーダーがいなくても安定を維持することができるかについての理解を示す一方、ナイは、アメリカは実際国際的に最も力のあるアクターであることを一度もやめたことがなかったと主張していた。ソフト・パワーはハード・パワーという制約を有する伝統的なパワーを補完することが可能であり、今日最も大きな意義を有するパワーの形態であり、特にグローバル化に関連した変動(国境のオープン化、通信コストの低減、私たちが唯一包括的な対応で対処しうる国境を越えたテロ、地球の温暖化、麻薬密売、国際的な流行性感冒などの問題)を背景にしていた。

3 ナイの分析におけるリソースのタイプ

ナイの分析には3つのタイプが存在していた。

軍事的リソース:アメリカは他国と比較して最大の軍事力を有していた。

経済的リソース:すべての先進国が有しており、中国が急速に成長していた。

無形のリソース:政府、NGO、企業など皆が有していた。それらは分散していたため、階層化されていなかった。

この分析からナイは、アメリカはグローバル化から恩恵を被ることはあるが、それをコントロールすることはないと結論づけていた。アメリカは他の諸国よりは大きなパワーを有しているが、個人的なアクターの興隆によってグローバル経済において以前ほどのパワーを有することはなかった。ナイによれば、後者はまとまりのない中で影響力を増大させると見られていたが、グローバル・ガバナンスに対する個人の影響力の寄与に関して結論を引き出すことはできなかった。短期的にアメリカは、普遍的な価値を促進し、アメリカの政策を受け入れるための魅力を維持し、反米感情の展開を避けるために、国際機関に依存しなければならなかった。長期的には、パワーの均衡へ世界を導くことによって、新しい技術の普及はアメリカの無形のリソースを低下させると見られていた[4]。

一般的に、共和党が純粋なパワー・ポリティクスに惹かれている(共和党所属の多くはアメリカの価値観を広め、その対外イメージを改善するだろう「公共外交」に言及するだろうが)ことと反対に、民主党は支持を取り戻すためにソフト・パワーの理念に言及することが多い(バラク・オバマによって提案された政策に関連してよく用いられる概念であった)。しかしナイ自身は「冷戦期にそうであったように、アメリカはハード・パワーとソフト・パワーをスマート・パワーの中に融合させていた」と述べていた[5]。2009年2月21日ソウルで、アメリカ国務長官であるヒラリー・クリントンは、オバマ政権のスマート・パワー戦略を構築したいと述べていた[6]。

アメリカ国外での地政学的、外交的議論では、「ソフト・パワー」という表現は国家によってなされた政治的影響力(経済的、文化的、イデオロギー的な)[7]の同義語としてしばしば用いられ、広報として呼ばれている多くの形態に言及していた。

したがって映画はソフト・パワーのツールとして重要な例だった[8][9]。たとえば、2010年に『ハート·ロッカー』を通じてハリウッドで高く評価された映画に贈られるオスカーを獲得した監督であるアメリカのキャスリン·ビグローによる最近の長編映画は、2001年9月11日の同時多発テロの後10年経ってアメリカによって始められたアルカイダの指導者であるオサマ・ビン・ラディンの捕獲と殺害に言及するだろう。この映画は2012年10月12日に予定されており、二期目の大統領選挙にバラク・オバマが入る3週間前のオスカーに間に合うように予定されているが、アメリカ人たちは、アメリカ海軍特殊部隊の勝利とテロリストの死をもたらす大統領の決定で終わる映画のタイミングについて議論していた[10]。一方ペンタゴンは例えばトップガンのようにハリウッドの映画製作者たちと協力し合う長い伝統を持ち合わせており、軍は上映に対してその影響力を鼻にかけていた。軍は助言や戦争の現場で用いられる素材を提供してきた。たとえばリドリー·スコットが『ブラックホーク・ダウン』(2001)を撮影する際、ソマリアでのアメリカ兵の別の側面を示すために、軍はヘリコプターやそのパイロットを貸し出していた。しかし時として軍は援助を拒否していた。これはコッポラの『地獄の黙示録』の場合で、当時は他国から金銭的、政治的援助を探す必要があった。

4 フランス文学における文化とソフト・パワーのつながり

ソフト・パワーのリソースは、これらのリソースの保有者によって決定されるフレームワークの中に他者を落とし込める文化的モデル、イデオロギー、国際機関によって行使され、他を惹きつける能力に一致していた。それらは普遍的な世界観を作り上げる能力を表しており、特に正当と考えられ受け入れられる産物に当てはまっていた。新しい技術の展開に援助され、映像業界は影響力や正当性における主要なリソースとして代表される地位を示していた。公共の場における外交は産業時代における外交とはもはや異なっていた。「パワーが有する魅力」はグローバル化した世界における通信手段やさまざまな地域における(市民のような)視聴者に声を届かせる新しい手段によって生じた時空間上の進化を考慮しなければならなかった。さらにソフト・パワーにおけるこのような形態の展開に対する障害とは文化的リソースの特徴というよりはむしろその開放の程度であった[11]。たとえば約10年前に多くの観察者たちは、日本政府と業界の閉鎖的な癒着が強固な場を国に与えていたと考えていた。しかし日本の松下がミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカを買収したとき、アメリカ映画による日本に対する批判を生じさせなくなくなるだろうと松下が即座に表明していたため、製作のプロセスや情報発信に適用された日本によるコントロールと自己批判の欠如の伝統が日本の信頼性にとって致命的になっていた。監視の文化や国家によるコントロールにとらわれ、日本は世界との接点を探ることに失敗していた。映画製作の現場からのメッセージがプロパガンダの誘惑や思想統制を偶然手放すとは思えなかった。これを背景にして、パワーの外に正当性を訴えることは不可能になっていた。しかしほとんど補助金を得ておらず独立しているイスラエルの映画は、戦争に直面している国に対する批判的な見解(『バシールとワルツを』、『ビューフォート』)、住民が困難に遭遇し、同性愛に関連した(『バブル』、『ウォーク・オン・ウォーター』)、家族(『シリアの花嫁』)、宗教的過激主義(『カドッシュ』)を提供することができていた。他の国では必然的にインフラストラクチャーから便宜を受けているわけではないが、パワーはプロパガンダを行うことでなく、ある種の経験をしたことがない個人を強調することに成功していた[11]。これは『ペルセポリス』とイラン、『カブールの子供』とアフガニスタンの関係に当てはまっていた。

http://de.wikipedia.org/wiki/Joseph_Nye

ジョセフ・ナイ

ジョセフ・S・ナイ・ジュニア(ニュージャージー州サウスオレンジで1937年1月19日に生まれる)はアメリカの政治学者であり、作家である。

1 人生

ジョセフ・ナイは1958年にプリンストン大学を卒業した。卒業後、ローズ奨学金によってオックスフォード大学で哲学、政治学、経済学を学んだ。その後ハーバード大学で政治経済学の博士号を取得した。1964年からナイはハーバード大学の教員の一員となっていた。さらに彼は1968年にスイス国際高等大学の客員教授としてジュネーブで、また1973年にオタワのカールトン大学の国際関係学部で教えていた。1974年に彼はロンドンの王立国際問題研究所の客員研究員だった。カレッジや大学での仕事に加え、彼はさまざまな政府の部門で働いていた。またナイはアメリカ国務省の職を歴任していた。1993年と1994年に彼はアメリカ合衆国大統領とアメリカ政府のために国内外のニュースと分析結果を調整する国家情報会議の議長だった。1994年から1995年にかけてナイは国防次官補となった。1995年にナイはハーバード大学のケネディスクールの学長となり、そこで彼は1985年から1993年まで国際問題研究センターの所長だった。この間1989年に彼はケネディスクールでクラレンス・ディロン講座国際関係論教授を担当していた。現在彼は三極委員会の北米議長である[1]。

加えてジョセフ・ナイは多くの機関のメンバーであり、サポーターである。ナイはアメリカ芸術科学アカデミー、アメリカ外交アカデミー、三極委員会のエグゼクティブ・コミッティー、国際経済研究所の諮問委員会のメンバーである。また彼は国際連合軍縮部の諮問委員会のアメリカ代表である。ジョセフ・ナイはアスペン研究所のシニアフェローであり、アスペン戦略グループのディレクターである。アスペン研究所のメンバーとして、彼はアメリカと他国との関係、特にヨーロッパとの関係に注意している。またナイは東西安全保障研究所のディレクターであり、国際戦略研究所のディレクターである。そして彼はウェルズ・カレッジとラドクリフ・カレッジの理事として働いていた。2005年に彼はザンクトガレン大学から名誉博士号を受け取った。

彼は既婚で、3人の息子がいる。

2 研究と成果

ジョセフ・ナイは研究上の関心についてこう述べていた。「奇妙に聞こえるかもしれないが、私はそこに運命の糸がそこにあったように考えていたが、おそらく唯一の運命の糸とは私自身の知的好奇心なのだろう。」 この引用は個人に対する関心の複雑さを反映している。しかしながら彼の研究は国際的相互依存やグローバル化と関連した国家やパワーの問題を常に取り扱ってきたと一般的に言えるかもしれない。

彼の数多くの著作の中で特に次の著作が最も重要である。

1. 『不滅の大国アメリカ』(1990)

彼の著作の中で、彼は超大国としてのアメリカの早期の終焉を予想するいわゆる「ディクライニスト」の見解(広く支持されている)に反論している。アメリカ帝国の興亡に関する伝統的な理論に対する固執が現代政治における政府の戦略を誤ったものに導く可能性があることを、彼は指摘していた。彼にとっての問題は、重要な場面でパワーはどのように変化するのかだった。もしアメリカが世界の超大国としての地位から没落するならば、それは破滅的な結果であり、アメリカに対してだけ当てはまるものでもなかった。ジョセフ・ナイ・ジュニアはこの本の中で初めて巨大なアメリカにおいて経済力や軍事力に加えて第三のパワーである「ソフト・パワー」の概念に言及していた。

2. 『アメリカへの警告――21世紀国際政治のパワー・ゲーム』(2003)

ソビエト連邦の崩壊後、アメリカは疑いなく世界の権力の頂点に立っていた。アメリカは活気づいていたが、他国からの孤立の中で衰亡していた。代償は国家の関心だった。2001年9月11日まで、多くのアメリカ人たちは、世界で最強の国としてアメリカを眺め、他国のことを考慮に入れる必要はないと考えていた。ジョセフ・ナイ・ジュニアはテロリストによる攻撃を「世界で生じている大きな変化の兆しである」と認識していた。情報・通信の分野における技術の進歩とグローバル化によって、新しい国際的なテーマが、もはやそれ単独では解決できない議題として表れていることを、彼は明確にしていた。アメリカはその視点に他国に対する強制を置くのではなく、協調を置いていた。パワーの存続を確かなものにするために、アメリカは国際社会と共に国家の利益を統合することに成功しなければならないと彼は主張していた。ジョセフ・ナイ・ジュニアによれば、アメリカは「ハード・パワー」(軍事力や経済力)と「ソフト・パワー」(文化や価値観、組織や政策)との間のバランスを見つける必要があり、世界の中心としての立場を維持するために、一国主義、覇権主義、支配に基づいた伝統的な政策から離れる必要があった。

3. 『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』(2004)

『ソフト・パワー』の中でジョセフ・ナイ・ジュニアは「ソフト・パワー」の概念を再度取り上げていた。彼は「ハード・パワー」(軍事力や経済力)と「ソフト・パワー」(文化や価値観、組織や政策)を区別していた。彼は、人々や国家が文化や政治的魅力を通じて従順になる力を「ソフト・パワー」と定義していた[2]。彼の著作の中で、彼は外交政策における多国間主義を主張していた。彼の見解によれば、「ソフト・パワー」というシステムはテロリズムがより多くの支持者を獲得するのを防止するとされていた。そして「ソフト・パワー」は国家の間に広がるグローバルな要求に対処するのに役立つとされていた。このシステムが社会を緊密にし、外交政策にソフト・パワーを生かすことがジョセフ・ナイによればこの本の目的だった。

http://de.wikipedia.org/wiki/Soft_Power

ソフト・パワー

ソフト・パワー(ドイツ語でもソフト・パワーと呼ばれている)はジョセフ・ナイによる政治学における造語であり、文化的魅力、イデオロギーに基づき、国際機関の助けを伴う、政治的なパワー(特に国際関係における影響力を指している)を記述していた[1]。ソフト・パワーの特徴は、(経済的)インセンティブや(軍事的)脅威を用いる必要性に対峙することなく、政治的アクターの目標に影響を与えることによりパワーを行使することであった。

1 概念化

ソフト・パワーの概念はナイによって明確に展開されており、経済的、軍事的強さを必要とし、(経済的)インセンティブや(軍事的)脅威に基づいたハード・パワーと対照をなすものであった。ソフト・パワーは、ハード・パワーに加えてもう一つの間接的な政治的パワーとして考えられてきた[2]。ソフト・パワーは(政治的アクターの)能力に依存しており、他のアクターの政治的選好に影響を及ぼしていた。政治的選好を形成し影響を及ぼすこの能力はナイの概念化によれば経済的インセンティブや軍事的脅威に基づいたパワーの行使と対照的で、無形の資産と密接に結びついていた。これらの価値観が他を引き付け合い、共有されることさえあることは重要であった。ソフト・パワーのリソースはしたがってそのような魅力を引き出す価値観であった[3]。ナイは国家のソフト・パワーの主な3つのリソースを指摘していた。文化、政治的価値観、外交政策である[4]。ユルゲン·ハルトマンは現代において宗教や言語をソフト・パワーの重要なリソースとしており、科学や技術も同様であった[5]。ソフト・パワーはその基礎に政治的アクターの能力を置いており、その能力によって、国際的な文脈では人がそうするように、国家は他のアクターを説得し、同じ政治的意思を発展させ、同じ目標を追求すると考えられていた[6]。ナイの概念ではしたがってソフト・パワーが常に政治的リーダーシップの重要な要素になっていた。ソフト・パワーとハード・パワーの相互作用はナイによれば強め合うこともあれば弱め合うこともあった[3]。ソフト・パワーとハード・パワーをちょうど良く混ぜ合わせるアクターの能力をナイはスマート・パワーと呼んでいた[7]。

2 概念の歴史

ナイは1990年に『不滅の大国アメリカ』の中で、2004年に『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』の中でソフト・パワーを展開していた。特に政治学では、国際関係論が現在構築されている最中で、それはナイによって与えられた定義を引き合いに出していた。この用語はますますメディアによる報道の中で用いられることになるだろう[8]。

http://en.wikipedia.org/wiki/Soft_power

ソフト・パワー

ソフト・パワーは魅力を通じて人が望んでいるものを手に入れる能力である。それは、強制や対価を利用する「ハード・パワー」と対照的であった。ソフト・パワーは国家によって行使されるだけでなく、NGOや国際機関のような国際政治におけるすべてのアクターによって行使されていた[1]。

1 起源

その言葉は『不滅の大国アメリカ』といった1990年の著作の中で表れたハーバード大学のジョセフ・ナイによる造語であった。彼はさらに2004年に出版された『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』の中でその考え方を発展させていた。この用語はアナリストや政治家によって国際問題に言及するときに現在広く用いられていた。例えば2007年に中国の国家主席である胡錦濤は、中国はソフト・パワーを強化する必要があると、第17回共産党大会で述べ、アメリカ国防長官のロバート・ゲーツは、外交、戦略的対話、対外援助、市民活動、経済復興と開発といった国防手段に対する支出を劇的に増加させることによってアメリカのソフト・パワーを強化する必要があると述べていた。2010年に台湾にある中華民国の元副総統である呂秀蓮は韓国を訪問し、国際紛争を解決するためのモデルとして中華民国がソフト・パワーを採用するよう主張していた[2]。

2 何がソフト・パワーになるか。

ソフト・パワーの主なリソースはアクターの価値観、文化、政策、制度になり、ナイはそれらを「本質的な流通経路」と呼んでいたが、「あなたが望むこと」に対し、他のアクターを惹きつけたり、撃退することが可能であった[3]。2009年にナイは、『リーダー・パワー――21世紀型組織の主導者のために』の中で、個人のリーダーシップに対してハード・パワーとソフト・パワーの概念を当てはめていた。

パワーの議論の中で、(好ましい結果を手に入れるために他人に影響を及ぼす)振る舞いと、これらの結果を生むかもしれない(もしくは生まないかもしれない)リソースを区別することは重要であった。時としてより多くのパワーに関するリソースを保有する人々や国々は彼らが望む結果を手に入れることができなかった。パワーはエージェントとパワーの対象との関係であり、その関係は異なった状況で変化する可能性が存在していた。パワーについて意味のある表明はリソースが振る舞いに転換するかもしれない(もしくはしないかもしれない)背景を特定しなければならなかった。

スティーブン・ルークスが「伝達の誤り」と呼んでいるように、振る舞いを生じさせるかもしれないリソースと振る舞い自体に混同があるため、ソフト・パワーは文化的商業的産物といった単なる非伝統的な影響力を指しているわけではなかった。例えば経済制裁のような特定の非軍事的アクションは明らかに強制することを意図しており、したがってハード・パワーに分類されるので、すべての非軍事的アクションがソフト・パワーの形態であるというわけではなかった。

そのことは、軍事力は時としてソフト・パワーに寄与しうることを示していた。アドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンのような独裁者は無敵であるといった神話を作り上げ、必然的に期待を抱かせ、仲間に加わるように他人を魅了していた。よく訓練された軍は魅力的になる可能性があり、たとえば軍と軍の協力や共同訓練は国のソフト・パワーを強化する国境を越えたネットワークを構築する可能性が存在していた。偉大な将軍であり軍事的英雄であるナポレオンのイメージは疑いなく外国の上流階級の多くをナポレオンに惹きつけていた。2005年のインド洋での津波や南アジアでの地震の後のアメリカ軍による人道援助のような印象に残る仕事はアメリカの魅力を回復するのに役立っていた。もちろん逆に軍事力の誤用がソフト・パワーを弱める可能性が存在していた。中東等におけるアメリカの軍事行動がアメリカのソフト・パワーを弱体化させたように、ソビエト連邦は第二次世界対戦後数年間大きなソフト・パワーを有していたが、ハンガリーやチェコスロバキアに対してハード・パワーを用いたので、ソフト・パワーを破壊してしまっていた。

3 ソフト・パワーの限界

『コロッサス』の序文の中でニーアル・ファーガソンのような著者たちによって非効率であるとして、ソフト・パワーは批判されていた。国際関係におけるアクターは経済的インセンティブと軍事力といった2つのタイプのインセンティブにしか反応しないことを理論上の目的のために仮定していたので、ネオリアリスト、ラショナリスト、ネオラショナリスト(スティーヴン・ウォルトを除く)は一般的にソフト・パワーを無視してきた。

概念として、ソフト・パワーと他の要因の影響を区別することはしばしば困難であった。たとえばジャニス・ビアリー・マターンは、明示的な脅威を含んでいないので、「あなたがたは私たちに賛成しているか反対しているかのいずれか一方である」といったジョージ・W・ブッシュの言葉はソフト・パワーの行使に含まれると主張していた。しかしラショナリストである著者たちはこれを「暗黙の脅威」とみなしており、それは直接の経済的軍事的制裁が「私たちに反対すれば」行われることを示していた。

4 ソフト・パワーの評価

ソフト・パワーはあなたが望む結果を手に入れる第三の振る舞い方を示していた。ソフト・パワーはハード・パワーと対照的であり、ハード・パワーは人口規模、具体的な軍事的資産、国のGDPといった量的な尺度を通じて国力を測る現実的であり歴史的に支配的な方法であった。しかしアメリカがベトナム戦争で気付いたように、そのようなリソースを保有することが常に望ましい結果をもたらすわけではなかった。魅力の程度は世論調査、エリートに対するインタビュー、ケーススタディによって測定されることが可能であった。

インスティテュート・フォー・ガバメント・アンド・モノクル(雑誌、2007年)によって、複合インデックスを通じてソフト・パワーを計測する最初の試みが行われ、公表されていた[4]。26ヵ国のソフト・パワーのリソースを測定するために、IfG-モノクルのソフト・パワー・インデックスは一定の統計学的測定基準と主観的なパネルにおけるスコアを組み合わせていた。測定基準は、文化、外交、教育、ビジネス/技術革新、政府を含む5つのサブ・インデックスにしたがって構成されていた。インデックスは国々のソフト・パワーのリソースを測定すると言われていたが、影響力を直接把握したものではなかった。

影響は脅威や代価といったハード・パワーの内にも存在している可能性があるので、ナイはソフト・パワーは影響以上のものであると主張していた。そしてソフト・パワーは単なる説得や議論によって人々を動かす能力以上のものであるが、その重要な部分の1つであった。それは同様に魅了する能力であり、魅了はしばしば黙認につながっていた。

国際問題では、ソフト・パワーは部分的には政策や公共外交を通じて政府が行うことによってのみ生じていた。またソフト・パワーが生じると、国内外の国家に属さないアクターの案内によって、プラスにも(マイナスにも)影響が生じていた。これらのアクターは他国の一般市民や支配階級に影響を及ぼし、政府の政策を可能にも不可能にもする環境を生み出していた。ある場合にはソフト・パワーは他のエリートが好ましい結果を人に許容する政策を採用する可能性を増大させるだろう。他国で好ましく思われることが地元での政治的敗北と思われる他の場合には、ソフト・パワーの弱体化は政府が特定の目標を達成することを妨げる方向に作用するだろう。しかしそのような場合でさえ、市民社会や国家に属さないアクターの相互作用は民主主義、自由、発展といったさらに一般的な目標を達成することを手助けすることもあるかもしれない。ソフト・パワーはいかなる国々やアクターにとってもその所有物とはならなかった。

ソフト・パワーの成功はアクター間での情報のフロー同様に国際社会でのアクターの評判に大きく依存していた。したがってソフト・パワーはグローバル化や新自由主義的国際関係論の高まりとしばしば関連していた。大衆文化とメディアはソフト・パワーのリソースとして認識されており、国語や特定の規範構造の普及も同様であった。したがってソフト・パワーや善良な意思にあふれる国家は他者を同化させるように促し、高価なハード・パワーに対する支出を避けるだろう。

ソフト・パワーは現実のパワー・ポリティクスに対する代替案として現れたので、しばしば倫理志向の研究者や政策立案者によって受け入れられていた。しかしソフト・パワーは規範的な概念よりむしろ分かりやすかった。パワーのあらゆる形態と同じように、ソフト・パワーはよい目的にも悪い目的にも使われる可能性が存在していた。ソフト・パワーが悪い目的で使われ、恐ろしい結果をもたらしたとしても、それは手段の点で異なっていた。この点で人はソフト・パワーを用いて規範的な選好を構築するかもしれなかった。

5 ソフト・パワーを巡る学術論争

研究者たちはソフト・パワーを巡る議論に参加していた。これらは以下の議論を含んでいた。

その有用性(ジュリオ・ガラロッティ、ニーアル・ファーガソン、ジョセフ·ジョフィ、ロバート·ケーガン、ケン・ウォルツ、ミアシャイマー対ナイ、カッツェンスタイン、ジャニス・ビアリー・マターン、ジャック·ハイマンス、アレクサンダー・バビング、ヤン・メリセン)

どのようにソフト・パワーとハード・パワーは相互に作用するか(ジュリオ・ガラロッティ、ジョセフ・ナイ)

ソフト・パワーは強制力があり、操作できるか(ジャニス・ビアリー・マターン、カッツェンスタイン、デュヴァルとバーネット対ナイ、バビング)

どのように構造とエージェンシーの間の関係は機能するのか(ハイマンス対ナイ)

ソフト・パワーの均衡は生じうるのか(ウォルフォースとブルックス対ウォルツ他)

ソフト。パワーはヨーロッパで規範的なパワーとなりうるか(イアン・マナーズ、A・シンブラ、トーマス・ディーズ、A・ハイド・プライス、リチャード・ホイットマン)

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2016・11・15 改訂
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