筆者によれば、ある社会集団を「幼児性」といった言葉で形容することは似非科学に基づいた説明によって補強されることがあり、この幼児性といった比喩は男性優位やエリート支配を合理化するために役立てられてきたという過去を有していた(これには例えば『ニューズウィーク』が第二次世界大戦降伏後の日本人を「マッカーサーの子供たち」と描写していたことなどが含まれている)。また筆者による、支配階級が、大衆を理性がなく、無責任で、未熟なものとして排除することによって、エリートの特権的地位と支配者としての固有の権利を主張してきたとの議論は、ここからは私見になるが、福島の原発事故において、戦時中と同じように日本国内のメディアとともに、日本国内の人々のパニックを回避し、数十年後にならないと確かなことは言えないといった現状にもかかわらず確かでないことを日本政府は公式に発言しないといったことを口実にして、アカデミズムやジャーナリズムに携わる人々を通じて似非科学に基づいた安全性を標榜するプロパガンダを積極的に推進し、福島の人々の無駄な被曝を増やしたことや、他方でOWSに対するワシントンの反応がウォール・ストリートを擁護する方向へ作用し、結果としてリーマン・ショック後の不動産価格の暴落にともなうアメリカの人々の生活が際だって改善されていない現状を肯定しているのだろうと考えることがあった。そして筆者によれば、このノーブレス・オブリージュというエリート意識は、子供に対する親の義務、もしくは生徒に対する教師の義務といったパラダイムを用いて、目立たぬように現存する階級の不平等性を覆い隠してきたが、ここからは私の解釈になるものの、それは各国政府のお国事情である選挙対策を念頭においてのことであり、根本的な問題の解決には至っていないと推察するときがあった。
筆者の引用によると、ジョージ・サンソムによれば、マッカーサーは「(裕仁は)最初から最後まで操り人形、すなわち「完全なチャーリー・マッカーシー」で、戦争をはじめたわけでも、終わらせたわけでもなかった。あらゆる時点で、彼は助言にもとづいて自動的に行動し、それ以外のことはできなかった。戦争を終わらせた閣議も、はじめたときと同様に筋書きができていた。もっとも、裕仁が後者より前者に熱心だったことは確かだが。」と述べており、裕仁を東京裁判の証人として使うことや彼に対する取材を禁じたのは、戦争遂行の活力源として利用するのと同じくらい容易に、平和の推進力として彼を利用できるだろうとのアメリカ側の意思によるものになり、私なりの解釈を挟めば、日本社会が有する傀儡の構造が変わっていないといった意味で、1975年の彼の訪米時における日本人の価値観に関してロイター通信のマイケル・ニールとの会見における「戦争の終結以来、いろいろの人々がいくつもの意見を述べたことを承知しています。しかし広い観点から見るならば、戦前と戦後の(価値観の)変化があるとは思っていません。」との発言につながったのだろうかと考えることがあった。つまり1人の人間に力を集中させるといったことは、必然的に1人では責任を取りきれない事態に直面するだろうことを想起させるものであり、それはワシントンに力を集中させたところで、例えばレーガノミックスの負の遺産に対しレーガンがアメリカ国民に対して責任を取ったかと言えば、選挙の洗礼を受けることと責任を取ることとは別の問題になり、ここで私は責任を取ることの意味を過ちに対する原状回復として議論を進めているが、傀儡の構造とは責任の所在が明確でないのみならず、1人の人間の所産では物理的に責任を取りきれない構造であるがゆえに、過ちに対する原状回復がなされないのみならず、同じ過ちを二度三度と繰り返してしまう蓋然性が高いといった状況を生み出すことになり、それゆえ日本は広島の後に長崎を経験する結果になったのも、すべては現在の日本における数ある組織に大なり小なり存在しているだろうこの傀儡の構造にあるのではないかと考えることがあった。
筆者によれば、1947年にマッカーサーがアメリカの大統領予備選で共和党の指名を得るために、日本との早期講和を言い始めたのと関連して、日本政府のみならず「象徴」として政治には口を挟まないはずの裕仁も、単独講和を受け入れてもよいという意思をアメリカ側に伝えており、政府と皇室がともに日本本土の占領の早期終結と引き換えに沖縄の主権を売り渡す意思を有していたことが記されており、当時から現在に至るまで日本の支配層は進んで沖縄の住民と沖縄を取引材料に利用しようとしてきたことが指摘されている。つまりここでも傀儡の構造が生き残っているがゆえに、根本的な問題の解決には至っていないといった現状が確認されることになる。
他方話は飛躍するが戦争に関し、戦場で死に逝く兵士たちは国家に忠誠を捧げて死んでいくのではなく、家族の名を叫びながら死んでいくのがアメリカであれ、日本であれ、第二次世界大戦が描き出した戦争の実態であることが、筆者によって指摘されているが、メディアが扱っている戦場で死に逝く兵士たちの様子は決まって国家や信義に対して忠誠を捧げている光景になり、その意味での娯楽産業・映画産業の役割とは平和を維持するといった観点から眺めると歪んだものになるだろうとの解釈を加えるときがあった。ここまでの読後感で、東アジアや東南アジアからの視点に欠けているではないかとのお叱りを受けるかもしれないことを念頭に置くことがあるが、それは機会が許すときに記したい。
そして筆者によれば吉田ドクトリンに関し、コートニー・ホイットニー准将が、憲法の改正について、幣原や吉田に代表される保守政権がもっと革新的な立場をとらなければ、総司令部は問題を直接日本国民に訴えるとほのめかしたときに、吉田の顔に「暗雲」が差したように見えたと述懐していることや、1951年6月に日本政府は中華民国と中華人民共和国のどちらの中国を二国間講和条約の相手とするか選択する自由があると告げられた後、占領中から日本は中国との緊密な経済関係を望んでいると明言していた吉田が「選択の余地を与えられることは歓迎しない」と述べ、駐日イギリス大使から「(これは)アメリカの下僕であるという烙印」を押されたことと同義であると評され、筆者からも小心であると評されていることから理解されるように、「従属的独立」の下地を整え、ただ経済成長に専念し、民主主義でも、外交でも、再軍備でも、世界的な指導性でも、政治家らしい指導力でも明言を避けてきた傀儡の構造を支え「文民守旧派」政党の官僚化を進めてきた日本政府の原型が時期を戦後に限定するならば既にここから始まってたのかと考え直すことがあった(つまり始めから間違っていたのだが、それが現在に至っていることを考慮すると、大なり小なり日本の組織の在り方を考え直す時期に来ているのかもしれないと考えることがあった)。
またAmazonの書評ではユニークと形容されている本書だが、現在の支配層にとって都合が悪いテーマに関してメディアや日本政府からの情報の公開が望みにくい現状を鑑みると、事実を反映した歴史がユニークと評される時代は当面続くものと考えるときがあった。
最後に他にも言及すべきことがあるかもしないが、それは、読者の皆様が本書を手に取られたときの新たな発見につながるならば、言外の幸いとなるであろうことを追記したい。
では。