劉が参照する1776年アメリカにおけるトーマス・ジェファ
ーソンの言葉を眺めると「新聞なき政府か、あるいは政府な
き新聞か、そのいずれかを選ぶならば、私は躊躇せずに後者
を選ぶ」なる文言があり、それは思想および言論の自由を抑
圧することは「精神の奴隷化」をもたらすのみであるといっ
た考え方を背景に据えているものだが、日本国内における現
在の状況に照らしてみると、やや過激な表現を許容して戴け
れば「新聞」の代わりに「WikiLeaks」等を据えた方がぴった
りとくるのではないかと考えたくなることが暫しあり、それ
は矛盾を孕む考え方であることを重々承知しているものの、
現在の伝統的なメディアを利用すること(例えそれが賢い利
用であっても..)がある意味でそれに隷属した精神の在り
様を説明する知的活動を放棄した堕落した姿勢以外の何物で
もないと考える人々が多ければ、所謂、新聞・テレビ離れの
現象は当面の間は続くであろうし、そうでなければそれはま
た違った展開も考慮されようが、しかし現在既に前述の様に
伝統的なメディアを利用する以上に自由な精神の在り様を追
求する手段がこの僅か10数年の歴史しかないインターネット
を平和的な武器として利用することにより可能なら使めてい
ることに気付かされてしまった現状を踏まえると、この傾向
が今後とも続くことを否定することは難しいだろうとの見方
に立つ時があることを否定できない。
そして彼の著作からの引用を続ければ、ソルジェニーツィ
ンがソ連の大衆に「嘘によらず生きよ」と呼びかけ、ハヴェ
ルがチェコ人に「真実に生きる」様に呼びかけたことは何ら
権限をもたない民衆にとって「真実を語る」ことが「権利を
もたない者の権利」であることを確認するものであり、それ
が何を示すかだが、日本国内の事情と重ね合わせてみると、
「真実を語る」ことに対し「ラディカルだ」との評価を与え
ることにより生き延びてきた悪しき伝統の数々が思い出され
る訳だが、私はそれでも現実を直視する姿勢が健全な社会の
発展に何らかの貢献をなし得るだろうと考えることがあり、
実際の処一直線に進む発展の在り様とはこの多様化した社会
では存在することが難しいだろうといった状況を考慮する事
もあるが、それでも社会は前に進むといった立場に立つなら
ばそこに求められるものは状況を周知なら使める幅広く徹底
した議論ではなかろうかと考える時がある。
ここからが今日の課題。
TOEIC対策は模試。正答率は、パート3が19/30、
パート4が7/12、パート6が10/12で、パート7が24/28。
Rの時間は累計36分で、ダブル・パッセージに39分
掛けることができる様子。
仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めているが、
このペースに変更はなく、ひとまずの区切りが近づくこ
とになるが、精進あるのみだろう。
明日もがんばろう。
では。
コメントする