『天安門事件から「08憲章」へ』といったタイトルになり、
「中国民主化のための闘いと希望」といった副題が付いた著作
になるが、前作同様、日本国内の事情に反芻を迫られる印象を
抱いたことに変わりはない。
つまり転換期の正義を主張する筆者に対し、妥協を許さない
現実離れした議論をする中国の知識人の姿勢が、日本国内の各
政治家や評論家(そしてジャーナリズムの関係者であれ..)
の姿勢と重なってみえることに対し、然程違和感を感じなかっ
たのは現在の在り様を説明する妥当な切り口だからだろうか。
転換期の正義にとって道徳的な純潔化を避けることは、平和
的転換と社会の和解を促すよう社会の公益を最大化するために
避けられないことだとする筆者の主張は、1989・11のチェコス
ロバキアにおけるビロード革命に影響されてのことだろうか、
平和裡に物事を進めたいがための願いが込められた表現と行動
になると纏めたらそれは誤解を内包することになろうか。
2009・2のメキシコにおいて習近平が「腹がいっぱいになって
やることのない外国人が、われわれの欠点をあれこれあげつら
っている」と諸外国への批判を語ったことから示される様に、
現在見識なるものが問われているとしたら、これは誰を支持す
るべきかを明白に語らしめるものであろうと考える時があった
事を追記する。
他方、伝統的なメディアが競争力を有しているかのメルクマ
ールとしてそれがインターネットの歩みに追いつくことができ
ているか否かが挙げられるとの主張は、インターネットに民意
が集中し、それを伝統的なメディアがフォローアップし、国内
外の世論が圧力となり、行政的な関心を集め、さらに世論によ
る圧力が高まり、行政により問題が解決されるといった世論の
形成過程およびその役割を通じて説明されており、国内の事情
を振り返りながら、反芻する機会があった。
問題の平和裡な解決を希望するのは各国同様だが、人権とは
生存権であると標榜している従属する豚を求める姿勢を有する
組織には理解され難いものであろうことが想像されてならない。
ここからが今日の課題。
TOEIC対策は模試。正答率は、パート1が7/10、
パート2が19/30で、パート5が34/40。Rの時間は
14分とやや掛かった経過となる。
仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、こんな時期もあるかと思わ
れるが、精進あるのみだろう。
明日もがんばろう。
では。
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