問題の多い発言が続くが、専門課程での外国語教育を振り返って。

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 教養課程が終わると専門課程に移り、研究室で外国語で
書かれた論文を読み込む時期に移るのだが、確かにこの
時期に沢山の文章に触れることは事実だが、テーマが専門
に限定されるため外国語の運用力が高まるのかというと、
外国語を苦手にしていた僕自身の経験を語ると、その気に
はなるのだが実際のところ運用力に向上はなく、運用力が
専門課程で要求されるテーマに適応した程度だったかも
しれないなと考えることがある(それを向上と言うのだと
いった突っ込みは暫し抑えて戴きたい..)。

 つまり専門課程の論文は表面上読み込めるのだが、
多岐に亘る生活外語の知識が欠落しており(実際のところ
それだけではないが..)、新聞、雑誌を読み込むレベル
には達していないといった状況になりがちで、さらに言う
と外国語の運用力を問われるような文章の解釈に難を抱えて
いる状態でもあるから論文を隅々まで理解したとは言い難い
状況にもなる。

 言い換えれば、例えばTOEIC, TOEFLで一定以上の成果
を上げているなら(別に他の指標でも構わないが..)、
最低限生活外語についてこれこれのことはできるだろうと
いった類推に繋がるのだが、専門課程の論文の読み込み
のみで外国語力をつけたとすると、論文しか読めない外国
語力の養成に繋がり、それをもって外国語の運用力の向上
と解すると、論文を読み込んだと言っても数式と数式の
行間、専門用語と専門用語の行間を読み込むことはできて
も、一般の例え話の寓意の解釈等に難を抱えた状態となり、
マイナーポイントを含むが真の理解に達していないにも
関わらず先へ進むといった状況になり、外国語の洪水に
慣れることはあっても整理されていないといった状況を
招きやすい事実に繋がることになる。

 これはリーディングに限定して話しているのだが、
聞いて、書いて、話すを含めると、元来専門課程で
外国語に触れる経験は外国語の運用力を高める場
ではなく、外国語の運用力を披露する場であると
解釈することが自然で、実態はそれとはかけ離れた
方向にないだろうかとの懸念が存在している(そんな
当たり前の話を今更蒸し返すなと突っ込みを入れられ
そうな気もしている)。

 学生時代によく「研究室で沢山のテキスト、論文を
読み込み外国語を鍛えました」といった話を耳にした
のだが、それは誤解ではなかろうかといったことが
現在の私の見解で、論文とは別にメニューを用意しない
と外国語の運用力の向上はもとより維持すら難しい
だろうと言ったら「揚げ足をとるな!」とお叱りを
受けるだろうか。

 別に何かに対し批判をしている訳ではなく、何か
一つのことを突き詰めたいときに他分野の知識が必要
になることが往々にしてあり、それは別メニューとして
組み込まないと、結局のところ中途半端な理解で終わっ
てしまうのではないか、つまり専門は入り口であり、
出口は複数の専門の集合体であるといった認識を現在
抱いているがために、色々やることが増えている現状
に対し、ご理解を戴ければ幸いである。

 いや、昔を振り返ると恥ずかしい話が次から次へと
出てくるが、進歩しているならばそれで良いではないか
と寛大な心を示してくれることを期待している我がいる
が、「そう甘くはないよ!」と語る我がいることも事実
である。

 纏まりがない文章になったがこんなときもあるだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

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2016・11・15 改訂
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この記事について

このページは、Suzuki TakashiがDecember 16, 2010 12:27 AMに書いた記事です。

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