文科系の専門課程といった言葉に違和感を感じるのは、
私自身の履修した専門科目がコース・ワークに沿っていた
からか、偏りがあることを認識していると同時に、そも
そも一括りにできるのかといった問題意識を内在させて
いるからでもある。
例えば、経済学は数理的思考を活用することはあっても
数理的思考に支配されている訳ではなく(それは敢えて
数値として認識しない考え方の枠組みが内在していること
を指しており)、つまりよく言い古された例をとれば序数
的効用等が該当すると考えられるが、丁寧に説明すると、
リンゴ、梨、苺の選好を考える場合、リンゴ>梨、梨>苺の
関係が成立していたとすると、推移律が働くならば、
リンゴ>苺といった関係が成立しそうだが、経験上人間の
選好には推移律が働かないことがあり、苺>リンゴといった
関係が成立がしてしまうことがあり、それは人間が合理的
な選好をしていないからだといった面を強調するのでは
なく、数理的思考より自由に好き嫌いを選んでいるからだ
といった説明がなされる場合があることはミクロ経済学の
テキストが記している通りである。
つまり形式論理学が説明する世界とは異なった世界が
展開されている訳で、一見すると非合理な人間の行動を
合理的に説明しようとしている姿勢を肯定的に眺めよう
とすることに問題が内在していないかと言えば、否と
答えることも一つの考え方だと思われる節がある(矛盾
を矛盾として取り扱う立場を否定している訳ではない)。
ところで私が学生時代に聞かされたことに「最近の
新聞記者はよく勉強していない」といったことがあり、
それは選挙に関する世論調査の報道を指しているのだが、
つまり、政党の獲得議席を50±2と表記する場合、±2
は信頼区間を示しているのだなと理解することができる
のだが、50+2〜+4といった表記になると2人増〜4人増
といったことは理解できるが、信頼区間として表記する
なら、53±1と表記し直すべきではないかといった問題
提起になり、実際のところ新聞記者やテレビ局の報道部
の人間は会社員であるから、出口調査の予想を臨場感を
もって伝えることを第一義にし(そうでなければニュー
スや記事が売れないといった現状があるのだろう)、
本来信頼区間をもって算出された数字でありながら、
それを考慮しないといった土壌があるのは、アカデミ
ズムを活用することはあっても支配されている訳では
ないといった、前段の件と類似した例に思われるかも
しれないが、根本的に異なる点はそれが関係者の都合を
優先させているだけに過ぎず、何ら一般性を伴う物では
ないといったことになり、それが故に昨今問題になって
いる事情、つまり会社員にジャーナリズムの役割は
務まらないのではないかといった見解からくる新聞、
テレビ離れの現象が説明されるとしたら(もっともそれ
以前から問題点の指摘は続いていたが..)、この傾向
は今後とも続くことだろうとの見方を否定することは
難しいだろうと思われてならない。
それで本題に戻るが、一括りにすることが難しい
文科系の専門課程を纏めることに意義があるのかと
言えば、纏めれば纏める程専門性が薄れ「役に立つ」
とは言い難い状況が続く中、例えばマルコフ行列を労働
市場に適用して、ある政策の前後における世代別の推移
行列を分析して、異業種間の人の移動が世代を超えて
減少しているといった結論が得られたならば、その政策
は社会のダイナミズムを削ぐものであるといった提言に
繋がるかもしれないが、この視点は計量経済学を修めた
ものの見方になり、専門性を薄らげれば薄らげる程、
何の「役に立つ」のか不明確になりがちであることも
事実である。言い換えれば、内測度を当て嵌めることが
できない面積が0の領域に外測度のみで内測度を定義し
直すことができれば可測となるといったルベーグ積分も
それ自体では何の「役に立つ」のか不明確になりがちだが、
確率等(縁起の悪い話だが、企業の倒産確率であれ何で
あれ..私は保険数理を専攻している訳ではないが..)
を計算しているときに面積が0の領域も含めて積分したい
ときに「役に立つ」と言えることはできるだろう、しかし
一般論を議論しているときに何の「役に立つか」を透徹
することは難しい話になるであろうことが予想され、先
にも述べた、文科系の専門課程で行われている議論は
一般論としての性質を有するものが数多く存在し、そこに
専門性を求め「役に立つ」ことを追求する姿勢は、少し
先走ったものの考え方ではないかと考えるときがあり
(実用化の見通しがあって研究・開発が可能になるのは
当たり前のことだろうといった見方を否定するものでは
ないが..)、医学の基礎研究に従事している方々、他方
理学の立場で研究に従事されている方々から応援を仰ぎ
たい心境であることも事実である。
漠然と思いを書き散らしているように見受けられるかも
しれないが、大学院時代の研究室から学んだことであるが、
「広く一般的に役に立つといったことは実は全然役に立っ
ていないことの裏返しでもある」といった言葉が文科系の
専門課程を説明する言葉として適当か否かは読者の皆様の
ご判断を仰ぐしかないが、専門性が高まることと抽象性が
高まることが相互に関係している様な分野では、役に立つ
といった考え方を取り入れるのが言葉の定義にもよるが、
やや難しいのではないかと考えるときがある。
この続きは機会があればその時に記すことにする。
ここからが今日の課題。
英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
6/13。episodic, 時たまの、ephemeral, fleeting,
束の間の、equivocate, 曖昧なことを言う、equable,
変化のない、epicure, 美食家、equanimity, self-
possession, 落着き、erratic, 一定しない、等で失点
しており、周回が必要か。
独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進める
方針に変更はないが、物量作戦を変更するつもり
はなく、精進あるのみ。
明日もがんばろう。
では。
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