ここ数日、考えていて、どうにも纏まらないものに、
いや休日をさいて色々な本を読んだのだけれど、
結論のでないものがある。つまり、日本人の価値観。
簡単に纏めてはいけないのだろうけれど、ヨーロッパの
キリスト教の価値観とは、自由、平等、博愛で示され、
しかし実際は、民族の対立、貧富の差の拡大という、
ままならない問題に取り囲まれ、結果、社会政策による問題の
解決が各国政府によってなされている。
だから、理想と現実という二項対立が仮定できるなら、
時系列を考え、不幸な「過去」=現実 → 幸福な「未来」=理想
といった発想にたち、死に物狂いの努力で、「現在」を改善して
いく、といった行動に結びつくのか。
この発想が社会モデルでいう、非定常なモデルは失敗作
であり、定常状態に収束するモデルが良し、とされる背景に
あるのか。
また、戦後の出発地点でGHQの総司令部が日本の民主主義の
成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の
少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」と述べたこと
について。
努力で現在を改善していくのはいいが、限界がある、といった
考え方が、40代で、限界に気付いていないのが、12歳と
いった理解でいいのか。
いや、言いたいことは何か?というと、日本人の価値観の中に、
相互不信というものが根強くあるのではないか?と常々感じる
ところがあり、それはアメリカ経由なのか、中国経由なのか、と
迷っている、といったことであり、まずキリスト教の価値観を
比較対象として持ち出した。
そして民主主義が成熟すると、この相互不信は解消されるのか?
といった(30才にもなって、こんなこと考えてんじゃねーよ!、
といった冷やかしは置いておいて...)ことが、ちょっと気に
なっている。
つまり、相互不信が解消されてこそ、民主主義が成熟するので
あり、議論は逆ではないか、ということを含む。また、アメリカ
経由の相互不信は政府と市民の間に現れていて、中国経由の相互
不信は企業と市民の間に現れているのではないか、と仮説を立てる
が、いまのところ実証は...。
本筋と関係のない話を脈絡もなく並べて、申し訳ありません。
ところで、TOEIC対策は、あと12日。正答率は、パート6
(下線部なし)が4/12、パート6(下線部あり)が4/6
で、パート4対策に長文の精聴を加える。理解度はBが2/2
といったところ。
誤文訂正が今ひとつだが、このタイプはこう訂正すれば通じる、
といった基礎を固めているものと捉えなおす。
伊検対策は、形容詞。ダイアローグは流れを把握しやすいもの
だが、che cosa etc パッと意味がでてこないのは、まだまだ勉強
不足ゆえか。
明日もがんばろう。
では。
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